それは暑い夏の日。

 パープルシャドウのゴッドアーム・城島とのバトルでハチロクのサスペンションを傷めたことで修理に出して、次の遠征が延期になった週末。

 拓海がイツキとハチゴーで遠出してよもやのプロジェクトDのダブルエースのニセモノに遭遇してしまっていた時。

 高橋邸では、とんでもない事件が起きていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「ほい、今日の結果」

 深夜の高橋邸にて、啓介は赤城から帰ってきて、涼介から出されている走り込みの課題を記録したノートを涼介に渡した。

「ご苦労さん」

 自室にてパソコンに向かっていた涼介は、クルリ振り返って受け取る。

 啓介がベッドにドサリ腰を下ろすと、ノートを開いて、今日のタイムと道路状況・啓介の分析を読む。

「順調だな。この調子で頑張れ」

「まーな。コツが掴めてきたし、最初はスゲー難しくて苛々したこともあったけど、今は面白くてさ、病み付きになりそう。ってもうなってるか

 そう言いながら、煙草を取り出して火をつける。

「はは。オレも昔夢中になってやっていたからな。その気持ちは分かる」

 煙を吸い込みながら、啓介は涼介の向かっているパソコンの画面がいつものレポート作成画面ではないことに気付き、ひょこっと腰を浮かせて歩み寄り、覗き込んだ。

「何だ? プロジェクトDのホームページの方か何かやってたん?」

「あぁ、まぁ…埼玉西北エリア連合のリーダーの秋山延彦って覚えているか? 啓介」

 うん? と啓介は考え込む。

「あー、アルテッツァ乗ってたヤツだろ? 眼鏡掛けたインテリ系の。ソイツが何?」

 埼玉遠征はもう終わったってのに、と怪訝そうに訊き返す。

「メールの遣り取りをな…どうやら、埼玉の各地の峠で、プロジェクトDのダブルエースがちょくちょく連れ立ってやってきてるらしい、とな」

 涼介の表情は、やや険しいモノだった。

「はぁ? オレ、遠征以外で藤原と走りになんか行ったことねぇけど。ましてや埼玉になんて」

 毎日課題でいっぱいいっぱいだし、と啓介は眉をつり上げる。

「あぁ。どうやらそれはニセモノらしい、って秋山延彦が中心にそれらの情報を集めてくれていて、連絡をくれてな」

「オレと藤原のニセモノって…何だってまた、そんなのが」

「まぁ、大体の予想は付くがな。オマエ達になりすますことで、周りから羨望の眼差しを浴びて、優越感に浸りたいとか…低俗な輩の考えそうなことだ」

 秀麗な眉を寄せて、涼介は息を吐く。

「で? その馬鹿共はドコに現れてるって?」

 啓介も面白く無さそうに、パソコンの画面を覗き込む。

 涼介は延彦から送られてきたメールの本文を順に読ませた。

「よく出没してる峠は、この辺り…後此処とか、此処…オマエ達本人の顔を知らない、峠に集ってる連中に騒がれたり、女のコに片っ端から声を掛けたり…オマエと藤原のフリをして、何をやらかしているのか、想像するだけで吐き気がしてくる」

 涼介の背後からメールを読んでいた啓介は、次第にわなわなと震え、火の点いた煙草をメキッと指で折った。

「ふっざけんなよ…! オレ達が死に物狂いで築き上げてきた名声を、ドコの馬の骨とも分からねぇ輩が好き放題しくさって…! 埼玉だな?! オレが行って成敗してきてやる!」

 机の引き出しを勝手に開けて灰皿を取り出して煙草を押しつけると、啓介はズカズカと部屋を出て行こうとする。

「おい、待て、啓介! 何処の峠に現れているのか、今日も現れているのか、まだ分からないんだ! 闇雲に出掛けていった所で…」

 あの怒り狂った様子じゃ何をしでかすか分からない、と止めるべく、涼介は椅子から立ち上がって啓介を追い掛けた。

「埼玉に行きゃ、渉だっているんだ。確かその延彦って渉のイトコだろ? 渉に会えば何かしら情報が…」

 啓介は構わず、ドカドカと階段に向かう。

「ただ現場を見つけただけでニセモノに注意するだけじゃダメだ! ちゃんと情報を集めて、そいつらの住所と名前も突き止めてからでないと、また今度別の場所でやらかすとも限らないし…だから今はまだ待て、啓介!」

 聞く耳を持たず階段を下りていく啓介に、涼介も駆け下りていき、肩を掴む。

「離せよ、アニキ! そんなヤツら、1日だって放っておけ―――」

 肩を掴んだ涼介の手を振り払おうとしたその時。

 怒りで前後左右上下すら見えなくなっていた啓介は、階段を踏み外し―――落ちそうになったのを涼介は慌てて掴まえようとしたが、重力に逆らえず、広い豪奢な階段を、2人は絡まるように、互いを守り合うように、転げ落ちていった。

「どわぁあああ〜〜〜っ!」

 

 

 階下まで転がり落ちた啓介と涼介は、衝撃と痛みで、暫く動けなかった。

「っ痛ぅ…」

「大丈夫か、啓介…」

「あぁ…何とか」

 階段から転がり落ちるなんて、啓介はともかく、涼介には初めてのことだった。

「おい啓介、いつまで乗っかっているんだ。重い」

 下敷きにされていた、そう言ったのは、甘い高音。

「あーワリーワリー。アニキ怪我してねぇ?」

 上に乗っかっていた、そう言ったのは、深い低音で。

「「……ん?」」

 何かが変だ。

 啓介が眼下を見下ろすと、そこにいるのは―――自分。

 涼介も見上げると、そこにいたのは―――自分。

「「……え?」」

 

「「えぇ〜〜〜ッ?!」」

 

 

  

 




 





◇ ◇ ◇


 日曜の夜。
 高橋邸での騒ぎをまだ知らない、史浩。
 ハチロクが仕上がって、渋川まで運んでいくことを、涼介に伝えようと、電話を掛けた。
『モシモシ』
「え、あれ? オレ涼介の携帯に掛けた筈なんだけど…」
 聞こえてきたのは、啓介の声。
『史浩か。どうしたんだ?』
「涼介はどうしたんだ? 啓介」
『…いいから話せ』
 史浩は訳が分からなかったが、取り敢えず啓介に話すことにした。
「あ、あぁ…ハチロク仕上がったよ。後で藤原に届けに行く」
『予定より早かったな…流石だよ、松本は…』
「啓介? どうしたんだオマエ? 何か悪いモノでも食ったのか?」
 まるで涼介のような口ぶりに、何だかムズムズしてくる。
『……それからこの前の件だけど…』
「この前? この前って何だ? オマエと何か話していたか? 啓介」
 特に啓介と何か話した覚えがなくて、史浩は首を傾げる。
『ニセモノのクルマのナンバーが割れたよ』
「えっ?! 啓介、もう知ってたのか? 涼介は全部調べてからオマエに話すと言ってたんだけど…」
 というか涼介が埼玉西北エリア連合の連中から情報を受け取っていたのはつい最近だった筈、と余りの仕事の速さに、史浩は驚いた。
『オレはちょっと時間がないから、この件は啓介に任せることにした』
「は? 何言ってるんだ、啓介?」
『あんまり手荒なことはしないように、啓介には言ってあるんだけど…』
「だからオマエが啓介だろ? 何言ってるんだ? 喋り方もおかしいし…ホントに悪いモノでも…」
『啓介の監視の意味も込めて、そっちの方をフォローしてもらえないかな』
「オマエを監視しろって? 自分で分かってるんなら、監視なんて要らないんじゃないのか?」
『………』
「啓介? 涼介はいないのか? ちょっと代わってくれ」
『―――あ、史浩〜? ちっとコッチ、メンドーなコトになっちまっててさ〜。藤原にハチロク届けんだろ? そしたらウチに寄ってくんねぇ?』
「りょ、涼介? どうしたんだ一体、オマエまで…」
 電話越しに聞こえた涼介の声は、啓介みたいに、乱雑だ。
『詳しいことは、家に来てから話すから、まずはハチロクと藤原のこと、宜しく頼む』
 電話はまた啓介に代わった。
『ちょ、アニキ、オレ今話してる途中…』
 そう言ったのは、涼介の声。
「???」
 史浩の頭の上には、ハテナマークが飛び交った。


 史浩が頭にハテナマークを抱えながら渋川に向かっている途中、高橋邸では。
「やっぱ史浩、不思議そーにしてたな」
 モゴモゴと夕食を食べながら、啓介in涼介は面白そうにけらけらと笑った。
「まぁそれはそうだろう。啓介の声なのにオレの喋り口調で、オレの声でオマエの口調なのだからな」
 涼介in啓介は行儀よく食べながら、返す。
「つーか、マジで史浩に話しちまう訳?」
「寝て起きてもまだ元に戻らない以上、いつ戻れるか分からないんだ。プロジェクトDに支障を来すかも知れないし、事情を知っておいてもらった方がいいと思ってな」
 今日は日曜だから大学に行くのは控えたが、研究室でやらなければならないことが山積しているし、当事者である筈の啓介は楽観的だし、自分だけで抱えているのも大変で、気心の知れた親友に明かしたくなったのだ。
「じゃあ史浩が戻ってくるまでオレ赤城に走りに行けねーの? 工場から渋川まで行って仕上がったハチロクの説明して戻ってくるまでっつったら、かなり時間かかるじゃん。ヒーマー!」
「暇、か…よもや《オレ》の口からそんな言葉がついて出るとはな…」
 一日この家で見ていたが、やはり自分の姿での啓介の振るまいと喋り口調は、頭を抱えるどころか、重くてズキズキしてくる。
「つーかオレの姿と声でその喋り方されっと、今日一日見ててもやっぱ慣れねーな、ムズムズするっつーか気持ちワリー」
「そっくり返す。時間があるなら、卒論でもやっていたらどうだ?」
「ぁ? もう終わらせたけど」
「終わらせた…?」
 驚いて、涼介in啓介は目を見開いた。
「まだ提出はしてねーけどな。久木にアドバイス貰って、完成させた」
 この間、と啓介in涼介は食べ終わると食器はそのままに、煙草を取り出して火をつける。
「へぇ、久木とまだ交流があったのか。保健学科のヤツとは会う機会もなくてな、オレも忙しいし」
 涼介in啓介も食べ終わり、啓介の分も併せて食器をシンクに運び、水に浸けた。
 そしてコーヒーを煎れるべく、コーヒーメーカーを用意する。
「啓介、昼間も言ったがオレの身体で煙草を吸うな」
「え、あーつい」
 癖のように煙草を吸っていたので、啓介in涼介は灰皿に押しつける。
「オレの身体なら、吸いたいとは思わない筈なんだがな…オレは数える程しか吸ったことはないし、もう暫く吸ってないから、オマエの吸うような強い煙草を吸ったら咽せるかと思ったんだが、そうでもないのだな」
 冷蔵庫に寄り掛かって腕を組んで、感心したように言い放つ。
「ハハッ、やっぱアニキってスゲーな!」
「そんなことを凄いと言われてもな…」
 涼介in涼介の煎れたコーヒーを2人で飲みながら、史浩がやってくるのを待った。