【出会いはいつも偶然と必然】 第一章








 波の国での任務を終え、カカシ達7班は久し振りに木の葉の里に帰ってきた。

 Cランクの任務ということだったが、その実は護衛人物タズナの敵対するガトーの雇った抜け忍、霧隠れの奇人・ザブザとの死闘などもあり、実際はBランク以上の任務だったのだが、何とかくぐり抜け、橋も完成し、任務完了ということで、戻って来れた。

 戦闘で負った傷も大分癒えた。

 ザブザの仲間である白との戦いや、彼らの散り様を見て、色々と沢山のことを学んだナルト達は、出発した頃とは顔つきも大分変わり、それなりのいっぱしな忍びの顔を見せるようになっていた。





 里内に戻り、ナルト達と別れたカカシは、その足で任務の報告書を提出してくると、頃合いもいい時間だったので、人生色々には寄らず、真っ直ぐ家路に向かった。

『夕食はどうしようか・・・何処かへ食べに行くか、それとも作るか・・・ま! 帰ってから考えよう。まだ陽は高いし』





 家の前までやってきて、カカシは、今日も無事に帰って来れた、と思った。

 死と隣り合わせで生きる忍びであるカカシは、任務に出掛ける時、いつも、これが最後かもしれない、と、室内を見渡し、写真立てに目をやり、木の葉の里の風景を目に焼き付けながら、出掛けていた。

 いつ死んでも構わない、と思っていたカカシは、いつの間にか、如何にして生き抜き、亡くなった朋友達の志を代わって遂げていくか、を考えて任務に就くようになった。

 死など恐れてはいないカカシだったが、“生”を重要視するようになってから、一層に強くなっていったのだった。









 玄関の鍵を開けると、カカシは、何ともいえない不思議な感覚が室内から流れてきたのを感じた。

「あれ・・・窓はちゃんと閉めていったよな、オレ・・・」

 懐かしいような、暖かくて柔らかい空気が吹き抜けていったような気がしたのだ。

 その不思議な感覚もすぐに元通りになったので、カカシはさして気にも留めず、中へと入った。

「さて・・・まずは一服、茶でも飲むか・・・」

 荷物を部屋に置き、台所へと向かう。

 湯を沸かして茶を煎れ、口布をずらし熱いうちに飲み干すと、小腹の空いたカカシは保存食を開け、口の中に放り込みながら、寝室に戻った。

 寝室の異様な感覚に気が付いたのは、その時だった。

 咄嗟に口布を元に戻す。

「何か・・・変だ・・・」

窓には鍵がかかっている。

 何かが侵入した形跡はない。

「気のせいか・・・長いこと住人不在で、埃っぽいのかな?」

 ふと視線を落としたカカシは、窓辺に置いていった筈の鉱石が無くなっていることに、ようやく気付いた。

「あれ・・・? 何処かに落ちたのかな・・・」

 大切な思い出の手掛かりである鉱石。

 一度として、無くしたことはなかった。

 幾分焦燥感の走るカカシは、咄嗟に這い蹲って、床を見て回った。

「無いな・・・何処に行ったんだ・・・?」





 違和感をはっきり察知したのは、その時だった。





 顔を上げたカカシは、ベッドの布団が膨らんでいることに気が付いた。

「何だ?!」

 驚きながらも冷静に、立ち上がってカカシは掛け布団をそっと捲った。





「え・・・?!」





 ベッドの中には、あどけない顔で眠る少女が、蹲るように丸まって横たわっていたのだった。

 カカシは状況が飲み込めずにいた。

 しかし直ぐ様冷静に頭の中を整理し出した。





 玄関には鍵がかかっていて、窓にも全て鍵がかかっていた。

 室内は、カカシが任務で出て行った時のまま、何処も動かされた形跡はない。

 だが、あるべきはずの、鉱石だけが無い。

 代わりに、いる筈のない少女が、カカシのベッドで、眠り込んでいる。





「一体・・・何がどうなっているんだ・・・?」





 整理したつもりが、カカシの頭は余計にこんがらがっていた。

 取り敢えず、この少女を起こそう。

「おい! 起きろ! おい!」

 身体を揺すろうと少女の身体に振れたその時、身体中に電流が走ったかのように、ビリビリとカカシの身体は痺れた。

「ツッ・・・」

 痺れに気を取られたカカシは、同時に少女の身体が不思議な光を放ったことに気が付かなかった。





「ぅ・・・ん・・・」





 痺れも直ぐ様収まり、冷静にカカシは少女を見遣った。

 少女の身体がピクリと震える。

 また触れたら痺れないか、と警戒しつつ、カカシはそっと少女の肩に触れ、再度身体を揺すった。

「おい・・・おい?」

「ん・・・」

 ゆっくりと、少女の目蓋が開かれる。

 少女は薄ぼんやりとした視界の端に蠢く何かを感じ、目を擦りながら、上体を起こした。

 あふ・・・と、少女は欠伸を一つし、伸びをすると、ぱっちりと目を見開いた。





 その少女を見てカカシは心臓が高鳴った。

 腰まで伸びた絹糸のような長い美しい髪に、あどけない表情に零れ落ちそうな大きな瞳。

 カカシの想い出の中の少女に、面影が重なったのだった。

 だが、この少女は宵闇のような漆黒の髪と瞳をしていた。





『他人のそら似か・・・しかし、何て似てるんだろう。オレが余りにも会いたいとばかり思い続けていたから、夢でも見ているのか?』





 カカシは口布の上から頬を抓ったが、痛みが、それは夢ではないことを証明していた。





『あの時会ったあの女は・・・オレと同じ歳くらいだった。もう10年も前の話だ。今頃は、紅のような大人の女になっている筈だ・・・』





 だが、もしあの女が人間ではなかったら・・・そんな思考がグルグルと駆け巡っている中、カカシは強い視線を感じた。

 ベッドに座り込んでいるその少女が、不思議そうに闇色の大きな瞳でカカシを見つめていたのだ。

 そして少女は、キョロキョロと辺りを見渡す。

「あの・・・ここ何処ですか? 私、一体・・・」

 ふっくらとした柔らかそうな瑞々しい唇から発せられた甘い声は、カカシの想い出の少女と、似ているような、違うような、カカシの記憶は曖昧になっていた。

 カカシは美しい少女に暫し見惚れており、ハッと我に返ると、頭を振って、思考を切り替えた。

「ここはオレの家だ。オマエは何者だ?」

 いくら思い出の少女に面影が重なると言っても、相手は得体が知れない。

 カカシは幾分語気を強め、真摯な眼差しで少女に問うた。

「私・・・? 私は・・・あれ・・・? 誰・・・だろ・・・」

 カカシの問いかけに考え込む少女は、自分の思考の中に靄がかかっているのを感じた。

「自分が誰だか分からないのか・・・?」

 少女の言葉に、一瞬嫌な考えがカカシをよぎった。





 記憶喪失。





「何か・・・何でもいい。分かることはあるか?」

 カカシは幾分警戒を解き、ベッドサイドにしゃがんで目線を少女に合わせ、表情を和らげて質問を変えた。

 少女は考え込む。

 暫し時が流れた。

「・・・分からない。私は誰・・・? 何も分からない・・・思い出せない・・・」

 少女の口から紡ぎ出された言葉は、予想を裏切らず、記憶喪失を決定付けた。

「記憶喪失か・・・」

 ふぅ、とカカシは溜め息をついてベッドの縁に腰掛ける。

「何か、身元を証明する物は身に付けていないか?」

 カカシの言葉に、少女は自分の体をあちこちまさぐった。

 だがしかし、ふるふると頭を振り、何も持たない、着の身着のままでここに存在している、と言うことが分かった。

「変わった服装だな・・・まるで、祭礼の時の寺院の僧侶か巫女のようだ」

 見たこともないような上等な絹織物で出来た着衣を見ながら、カカシはふとそう思った。

 が、木の葉の里にも火の国にも、このような着衣の寺院はない。

 少女が不安そうな表情でゆっくりと髪を掻き上げた時、カカシは視界の端に映った、少女の右手首の腕輪が目に留まった。

「それ・・・!」

 思わずカカシは、むんずと少女の腕を握り締めて引き寄せていた。

 その突然の行為に驚いた表情をしながら少女は、繁々とこの部屋の住人であるという男を見遣った。





『変わった格好をしている・・・どういう人なんだろう? 寂しそうな目をした人だな・・・孤独に包まれた感じ・・・』





 カカシは、驚愕の念を禁じ得ない。

 少女の腕輪は、カカシが10年間大切にしてきた、不思議な鉱石と同じものだったからだ。

 やはり、同じように、角度によって色彩を変え、時折光を放つ。

 手首に密着していて、外すことは出来ないようだ。

 何か小さく文字が彫ってある。

 カカシにも読める文字だった。





「“”・・・? これは何だと思う? 名前か、それとも地名か、他の何かか・・・」

「・・・分からない・・・です」

 甘えたような上目使いに、一瞬カカシはドキリとする。

「そう、か・・・そうだよな。分かれば苦労しない、か。・・・よし! これはキミの名前ということにしよう。キミの名前はだ。いいね」

「あ・・・ハイ」

 コクリと頷くと、はカカシの離した自分の手首の腕輪を、繁々と見つめた。

「あ」

 は、カカシに視線を戻すと、ふと声を漏らした。

「ん? 何だ?」

「怪我・・・」

 カカシの左腕を指した。

「あぁ、これか。かすり傷だよ。すぐ治る」

 そういうカカシに、はそっと己の右手をカカシの傷にかざした。

 すると、みるみる傷が治癒していった。

「なっ・・・?!」

 カカシは驚き、傷の消えた腕と、を交互に見た。

・・・キミは治癒能力があるのか?」

 再び感じるデジャビュ。

 カカシは思わず、むんずとの腕を掴んでいた。

「え・・・? あの・・・? 痛そうだったから、何となく気になって・・・」

 どうやらは、無意識の行為だったようだ。

 カカシはおもむろに額当てをずらし、写輪眼でを凝視した。

「・・・?」

 不思議そうにカカシを見つめている

 が、結局カカシには何も見えてこなかった。

 唯一、不思議なチャクラを宿している、と言うことだけ分かった。

 後は靄がかかったように、はっきりしてこない。

 カカシはハッとして、額当てを元に戻して、の身体を掴んだ。

、オレの目を見ても何ともないか?!」

「え・・・? 何かあるんですか・・・?」

 キョトンとしているを見る限り、どうやら何ともないようなので、カカシは安堵してを解放した。

 やはり感じずにはいられないデジャビュ。

 あの女も、オレといて何ともなかった・・・。













「さて・・・やっぱり、事の次第を火影様に報告した方がいいな。でも、腹も減ったし・・・明日でもいいか。夕食にしよう。長いこと家を空けていたから、冷蔵庫は空っぽで何もない。外に食べに行こうか。、何か食べたい物はある?」

 の醸し出す、暖かく柔らかい空気が心地好くて、素性が知れないというのに、カカシはすっかり警戒を解いていた。

「え・・・何でもいいです」

「そうか、食文化が違うことが、もしかしたら分かるかもな。よし、近くにいい店がある。行こう。付いておいで、

 立ち上がったカカシは、ベッドの上のに手を差し伸べ、立ち上がらせた。

「あ・・・もしかして、靴・・・履いてないのか。オレの昔の靴、サイズ合うかな・・・」

 玄関脇の物置から探し出してきた小さめの靴を差し出し、に履かせた。

「ちょっとデカイか。ま! 仕方ない。歩けないことはないだろう。行こうか」

 ずるずると引き摺りそうな、式典の出で立ちのような衣服の裾を持ち上げて靴を履いたを、腰を屈めて覗き込んだカカシは、垣間見えた白く細いの足に顔を赤らめつつ、一つ咳払いをし、玄関を出た。

「あっ・・・あの、待って・・・」

「ん?」

「何か・・・出れない・・・」

「は?」

「何だか、前に壁があるみたいです。外に出られない・・・」

「えぇ?!」

 驚いたカカシは、の腕を掴んで引っ張ろうとしたが、本当に何かの壁があるかのように、の身体は、カカシの家から出てこなかった。











「参ったね、どうも・・・」

 仕方無しに再び室内に戻った2人は、居間のソファに腰掛けた。

「オレの家に、君に対する結界でも張ってあるかのようだよ・・・まさかとは思うが、、この窓から手を出せる?」

 カカシは立ち上がり、窓を開けてを促した。

 恐る恐るは歩み寄り、そっと手を伸ばす。

 だが、障壁でもあるかのように、の手は窓を境に外へ出なかった。

 予想半分驚き半分で、カカシは深く息を吐いた。

「どうしようか・・・?」









 暫く考えていても何の打開策も見えてこないカカシは、取り敢えず腹が減ったので、何か夕飯の材料を買ってくることにした。

 のことは、夕食を済ませて、それからゆっくり考えよう、と言うことになった。

「取り敢えずオレは買い物に行ってくるよ。夕飯の材料と、あとキミの着替え」

「え?」

「その格好じゃ、動きづらそうだよ。待ってて。もし退屈だったら、その辺の本とか、この里のことや国のこと、世界のことが書いてあるから、読めば何か思い出せるかも知れない。適当にくつろいでてよ」

 じゃ、行ってくる、とカカシは買い物へと出て行った。











 は家の中を探検して回り、窓越しに、外の風景を見た。

 だが、見覚えはない。

 物珍しく映るだけだ。

「どうしたらいいんだろ・・・でも、あの人は優しそうな感じだし、何か安心できる・・・」

 1人呟くと、は言われたとおり、書棚の本を手に取り、頁を捲った。

 文字は読めるようだ。

 “世界の歴史”と書かれた本を読みながら、は家の主を待った。

















 今日一日の仕事を終えたイルカは、三代目火影からの伝言と書類を持って、カカシを探していた。

 カカシはナルト達と共に、今日任務から帰ってきた。

 長く里を離れていた。

 恐らく久し振りに仲間の上忍らと酒を酌み交わしているに違いない、とふんだイルカは、上忍達が立ち寄りそうな店を訪ねて回ったが、何処にもカカシの姿は見つからなかった。

「やっぱり久し振りの里だから、家でくつろいでいるのかな・・・」

 途中の店で出会ったアスマにカカシの家の場所を訊き、イルカは向かった。





「ここだ・・・な。いるかな、カカシ先生は」

 カカシの家の前にたどり着いたイルカは、背を正し、玄関のドアをノックした。











 夢中で本を読みふけっていたは、既に17冊目に突入していた。

 カカシが出掛けてから、数十分と経っていない。

 本はどれも、女の細腕では両手でなければ持てない程、分厚いものだった。

 1冊読むのもやっとであろうに、普通では考えられないような早さだ。

 ふと、玄関をノックする音がしたのに気が付いた。

「戻ってきたのかな?」

 だが、ここの住人である人間が、自分の家に帰ってきてノックするだろうか、と考えたは、もしかして客だろうか、と言う考えに至って、読みかけの本を閉じて立ち上がり、玄関に向かった。

「ドアくらい、開けられるよね・・・」

 でも、不審人物だったらどうしよう、と言う思いもよぎって、は身構えたが、ドアの向こうに不穏な空気を感じなかった為、はカチャリ、とドアを開けた。





 ドアは数cmだけ開いてそれ以上開くこともなく、家主も顔を出さないことを不思議に思ったイルカは、そっとドアノブに手を掛け、ドアを開けて中を伺い見た。

「あの〜・・・」

 そこに立っているのは、可憐な少女。

「え・・・うわっ、すいません! 間違えました!!」

 驚いたイルカはバタンとドアを閉め、くるりと背を向けた。

「あれ・・・おかしいな・・・? ここはカカシ先生の家・・・だよな? まさかアスマ先生、からかって嘘を教えたんじゃあ・・・」

 そんな思いもよぎったが、アスマは別に面白がったような顔はしていなかったし、普通に教えてくれた。

 一緒に食事をしていた紅も、頷いていた。

 火影様からの伝言を仰せつかっていると言ったのだから、間違いではない筈だ。

 そう思い直し、思い切ってイルカは、ドアと向かい合い、そっとドアを開けて再び中を伺い見た。

 やはりそこに立っているのは、大層美しい少女だった。





『お客さんかな・・・? カカシ先生は独身だと聞いているし・・・それとも恋人・・・? それにしちゃ年が離れてないか? 妹・・・? いや、カカシ先生もオレと同じで、天涯孤独の筈・・・』





 色々な思考がイルカの頭の中を駆け巡ったが、邪推はイカン、と頭を振り、再び、玄関先に立っている少女を見つめた。





 綺麗だ・・・。





 見惚れていると、少女が口を開いた。

「あの・・・何か?」

「あっ、すす、すいません。あの、カカシ先生はご在宅ですか?」

 顔を赤らめ、頬を掻きながらイルカはしどろもどろに言い放った。





『カカシせんせぇ・・・? この家の人のことかな・・・? あの人、カカシせんせぇって言うんだ・・・』





 は、思い出せない自分の名前は決めてもらったが、当のこの家の主の名前をまだ聞いていなかったことに、今更ながら気が付いた。

「あの・・・お買い物に出掛けているんですけど・・・もうすぐ帰ってくると思いますけど、よく分からないです」

 あどけない表情で、は言葉を紡ぐ。

「そうですか・・・。どうしようかな・・・あの、伝言頼めますか」

「あ、ハイ・・・いいですけど」

 幾分躊躇いながら、中を見ないでもらえれば大丈夫だ、とイルカは書類を差し出した。

「火影様からの伝言です。今回のこの任務について、詳細を報告して欲しい、と言うことです」

 内容をブツブツと反芻しながら、はイルカから書類を受け取った。

「えと、分かりました。この書類を渡せば、分かるんですね」

「はい。あの・・・くれぐれも中身は見ないで下さいね。一応、機密書類なんで・・・」

 それを氏素性の知れない人間に預けるのもどうかと思ったが、イルカにはこの少女が危険人物には思えなかったので、伝言役を仰せつかりながらあるまじきことだったが、イルカは更に“伝言”してしまった。

「あ、ハイ。勿論です」

「じゃ、宜しくお願いします。報告は、明日でいいそうなので」

 そう言い残し、イルカは立ち去ろうとした。

「あの・・・!」

 それをが引き止める。

「え?」

「あの、貴方の名前を教えて下さい。誰から預かったのか、カカシせんせぇに正しく伝えられないので・・・誰から預かったのか分かりません、って訳にはいかないですから・・・」

「あ! そうですよね。すみません。はは・・・うっかりしてました。失礼しました、うみのイルカと言います。そう言って頂ければ、カカシ先生もお分かりになりますので」

「うみのイルカさんですね・・・分かりました。確かにお預かりします。任務ご苦労様でした」

 そう言っては、書類を抱えたままペコリとイルカに対し頭を下げた。

「あ、いや・・・それじゃ、失礼します。カカシ先生に宜しくお伝え下さい」

 そう言ってイルカもに向かって軽く頭を下げ、始終顔を赤らめたまま、瞬時にその場から消えた。

















 その頃、夕飯の買い物を済ませたカカシは、の着替えを買うべく、衣料品店で難儀していた。

「どんな服がいいかなぁ・・・好みを訊いてくればよかったな。あぁいう祭礼みたいなズルズルビラビラした服が好きなのかな・・・いや、そういう職業ってこともあるし、普段着か・・・何が似合うかな」

 の姿を思い浮かべるカカシは、どうしてもが10年前の少女と面影が重なって、服を選ぶ手が止まる。





『あのコは別人だ。面影は似てるけど、髪の色も瞳の色も、チャクラの感じも違うじゃないか。今は忘れなければ・・・』





 思考を切り替えるべく頭を振り、カカシはに似合いそうな軽装の服を選び、手に取ると、今度は別のことで躊躇った。

「どうしよう、下着・・・必要だよな・・・」

 怪訝な表情で応対する店員と、照れるカカシの姿がそこにあった。

















「ただいま〜」

 ようやくのことで家に帰ってきたカカシは、食料品を台所のテーブルにドサリと置くと、ふぅヤレヤレ、と息を吐いた。

「おかえりなさ〜い」

 居間からは顔を覗かせる。

 カカシから見ると重苦しい、の“祭礼衣装”は、当のは、恐らくは無意識下であろうが、実に自然に裾を捌き、着慣れている感じだった。

「着替え買ってきたよ。そんな上等な絹織物、汚したら大変だ。着替えておいで。ハイ、コレ。気に入るかどうか分からないけど」

 居間に入ってきて、カカシは買物袋をそのままに手渡した。

「これ鋏。値札取って、ゴミ箱に捨ててね」

「あ、ありがとうございますぅ」

 受け取ると、おもむろに、は脱ぎ始めた。

「ちょっ、ちょっと待ってっ!」

「え?」

「頼むから着替えるのはオレが出て行ってからにしてちょ〜だい!!」

 全くもう、ビックリした、とカカシは赤面したまま、慌てて居間を出て、ドアを閉めた。

「?」

 には、カカシの思惑が理解できていないようだった。





「全く、今時の若いコは、何処でも人前で着替えたりするからなぁ・・・」

 そもそもが“今時の若いコ”なのかどうかもまだ謎だったが、思わず目に飛び込んできたの白い柔らかそうな肌が脳裏に焼き付いて離れず、煩悩を払うようにカカシは頭を振り、手甲を外して夕食の支度に取りかかった。





 包丁の音が響く中、カチャリとドアの開く音がした。

「えと、着てみました、どうですか?」

 胸の大きく開いたデザインのカットソーと、揺れるミニスカート。

 に似合う服、と考えながら選んだ結果が、これだった。

「お〜、似合う似合う。良かった〜。あ、でもデザインとか色とか、好みじゃなかったらゴメンね」

 包丁の手を止め、カカシは振り向く。

 が光り輝いて見え、カカシには眩しかった。

「んと、自分の好みってよく分からないし。でも、気に入りました。有り難う御座います」

 ペコ、とは頭を下げる。

 大きく開いた襟ぐりから、豊かな胸の谷間が垣間見え、カカシはドキリとして、咳払いを一つして背を向けて調理を続けた。

 そんな思惑など知ろう筈もないはカカシの元まで歩み寄り、興味深そうに調理を眺めていた。

「やってみる?」

「え・・・やり方分からないです・・・あ」

 後退りするは、ふと思い出したように、居間に戻っていった。

 再び台所にやってきたは、書類をカカシに差し出した。

「あの、カカシせんせぇ・・・」

「ん? 何、それ、どしたの」

「えと・・・何だっけ。んと、“火影様が、今回のこの任務について、詳細を報告して欲しい、とのことです”・・・だったかな」

「え?」

 調理の手を止め、書類を受け取って中身を見るカカシ。

 それは、先程提出した、波の国の任務の報告書だった。

「あの・・・カカシせんせぇがお買い物に出ていていらっしゃらなかった時に、お客さんが来て、伝言を頼まれました。あの、中身は見てないですから」

「あぁ、悪かったね。そうか、やっぱりな・・・」

 どうしたものか、とカカシは顎に手をやり考え込む。

 やはり、“真実”を報告するべきか・・・。

「今すぐ行った方がいいのかな・・・」

「あ、明日でいいそうです」

「あ、そう。誰が持ってきたの? これ」

「えと、うみのイルカさんって人です。そう言えば分かるっておっしゃってましたけど」

「イルカ先生か・・・ナルトに会いたがってるだろうな」

「あの人も先生なの? カカシせんせぇと同じような格好してたけど」

「あぁ、イルカ先生はアカデミーで教師をしてるんだ。ん、あれ? そう言えばオレ、キミに名乗ったっけ?」

 先程から何度もに名前を呼ばれていることに、カカシは今更ながら気が付いた。

「あの、そのイルカせんせぇって人がそう言ってたから・・・」

「そっか、ゴメン。名乗ってなくて。オレの方が不審人物だな。改めまして、オレの名前は、はたけカカシ。この木の葉隠れの里で、忍者やってます。宜しく」

 恭しく、ペコ、とカカシは軽く頭を下げた。

「あ・・・こちらこそ、不審人物ですが、宜しくお願いします」

 カカシの言葉を返し、も頭を下げた。







 食事の支度ができ、もカカシに言われるがままに手伝いながら食卓に並べていった。

 カカシは寝室でベストを脱いで額当てと口布を外してやってきた。

 顔の全貌が露になったカカシは、大層、端整な顔立ちをしていた。

「口に合うか分からないけど、どうぞ。いただきます!」

「ハイ、いただきます」

 メニューはカカシの作り慣れた和食だった。

「美味しい・・・」

「そ? それは良かった。どんどん食べて」

 食べ終わって片付け始めると、はそわそわしながら、カカシの周りをうろついた。

「どしたの」

 のすらりと伸びた長く白い手足が眩しくて、カカシは視線を泳がせた。

「あの・・・手伝います」

「い〜よい〜よ。それより、お風呂に入っておいで。食べてる間に沸かしておいたから」

 洗い物の手を一旦止めたカカシは、先程買ってきた下着の包みをに手渡した。

「これ、着替えね。参ったよ、女のコの下着買うなんて、店員に変な顔されてさぁ・・・」

 ハハ、とカカシは頭を掻く。

「すみません、ご迷惑お掛けして」

「い〜のい〜の。気にしな〜い。それより、風呂の使い方は分かるかな・・・あ!」

 を浴室に案内しながら、カカシはふと声を上げた。

「しまった、パジャマ忘れてたよ・・・ま! オレの替えでもいっか。持ってくるから、入っちゃっててよ。ダイジョーブ、覗かないから」









 脱衣所にカカシの着替えパジャマを置いて再び洗い物を始めたカカシは、片付けを済ませると、居間にて、何かをこの部屋から出させられる方法はないか、と忍術の巻き物を次々と開いていった。

 聞こえてくるシャワーの水音に、我知らずカカシは鼓動が高鳴る。

『イカンイカン・・・邪念よ消えろ! 冷静になれ、オレ・・・』

 若い女が自分の家にいる。

 ずっと独りで生きてきたカカシにとって、画期的なことだった。

 まだまだ若い“男”であるカカシにとっては、邪な想いを抱くな、と言う方が無理だった。





 暫くして、風呂から上がったがカカシのいる部屋にやってきた。

「あの、カカシせんせぇ、お風呂、有り難う御座いました」

「お〜ぅ」

 そう応えて振り返ったカカシは、仰天して思わず手の中の巻き物を床に取り落とした。

 は、下着の上に、カカシのパジャマのシャツしか着ていなかったからだ。

 袖をまくり、胸元も大きく開き、裾からは太股が露になっている。

「ちょっ・・・それはヤバイでしょ、マジで! 下、ズボン履いて・・・」

 赤面したカカシは顔を反らし、を見ないようにして声を張り上げた。

 湯上がりで火照ってほんのりピンクのの四肢と胸の谷間が、目に焼き付いて離れない。

「え、でも、ウエストが大きすぎて履けないんです。上だけでも大きかったから、丁度いいかなと思って。・・・ダメですか?」

 カカシの慌てようなど分かりもしないは、つかつかとカカシの元まで歩み寄り、背中越しに覗き込んだ。

「や、ダメとかそういう問題じゃなくて・・・オレがダメなの!!」

「? どうしてですか?」

 ふわっと石鹸の香りがカカシの鼻をくすぐり、益々鼓動の早くなったカカシは首を捩って尚一層から目を逸らした。





『記憶喪失以前の問題だ。このコは天然だよ・・・全然分かってない。鈍すぎる・・・』





 参ったなぁ、とカカシはなるべくを見ないようにして立ち上がり、オレも風呂に入ってくる、とそそくさと部屋を出て行った。











 最後に冷水を被って邪念を振り払って風呂から出てきたカカシは、恐る恐る部屋へと入った。

 はやはり格好は先程のままで、窓辺に立って、夜空を眺めていた。

 カカシは印を結んで冷静な精神を努めて保つようにし、風呂上がりの水分補給を持ってきて、ソファに腰掛けた。

 カカシに気付いたは、あどけない表情でひょこひょことカカシの元までやってきて、促されるままカカシの隣に腰掛けた。

 グラスを受け取り、一口含む。

 カカシはおもむろに毛布をに渡した。

「それ掛けといてね。目のやり場に困るから」

 理由も分からないまま、は足に毛布を掛けて覆った。

「退屈だったかな? 本沢山あるんだし、適当に読んでればよかったのに」

「あ、殆ど読んじゃったんで・・・」

「え?! 全部?!」

「あ、ハイ」

「嘘でしょ・・・?」

 カカシの蔵書は、かなりの量だ。

 それをは、全て読破したというのか。

 カカシは驚きの念を隠せない。





「じゃあ、大体のことは理解した?」

「ハイ。・・・でも、私の知ってることは無かったです」

「そっか・・・」

 この家にある本を全て読んだというなら、この里のことや国のこと、忍びのことなどは、ほぼ理解した筈だ。

 となったら、何を話そうか・・・とカカシは考え込んだ。

 機密部分は除いて、カカシは掻い摘んで、詳細をに話した。





 夜も大分更け、あらかたのことを話し終えると、話は、どうやったらがこの家から出られるようになるか、に移った。

 が、いくら話し合っても、巻き物を紐解いても、打開策は見つからない。

 も巻き物を覗き込むが、分かろう筈もない。

 埒が明かないので、夜も大分遅くなったことだし、一先ず休止して、もう休もう、と言うことになった。

「明日になったら、また状況が変わっているかも知れない。火影様に相談して、もし外に出られるようになったら、明日はオレ非番だから、里を案内するよ」

 立ち上がり、カカシはの手を取って立ち上がらせ、寝室に案内した。

はこの寝室のベッドで眠るといい。オレは隣の部屋のソファで寝ているから」

 ちょこん、とをベッドに腰掛けさせる。

「え、でもそんな・・・悪いですぅ。カカシせんせぇがベッドで寝て下さい。私がソファで・・・」

「何言ってんの。女のコをソファに寝させる訳にいかないでしょ」

 立ち上がろうとするを、カカシは肩を押さえ込む。

「それじゃ、カカシせんせぇも一緒にベッドで・・・」

「コラコラ。若い男と女が同じベッドで寝るなんて訳にはいかないでしょ」

 オレ、自信無いよ? とカカシはニッコリ微笑む。

 その意味をは理解していなかったが、カカシは、が天然であることを、いいことなのか悪いことなのか、と靄靄と考えつつ、すがるを寝室に残し、隣室に移った。















 ソファに寝転がったカカシは、月明かりの中巻き物に目を通しながら、を外に出させる方法について、一つの方向性を見出し、その方法について思慮を巡らせていたが、次第遅い来る睡魔に身を委ね、10年前に思いを馳せながら、眠りに落ちていった。

 そのカカシの元に忍び寄る一つの影。

 月光がカカシの上に影を落とす。

 そっ、とカカシの身体に影が伸びる。

「誰だ!!」

 ハッ、と直ぐ様目を覚ましたカカシは、咄嗟に伸ばされた何かを掴んだ。

「きゃっ」

 ペタン、と影が床に尻餅をつく。

・・・?!」

 カカシは、掴んだ物はの腕だったことを知り、驚いてを見遣った。

 きつく掴んでいた事に気が付き、力を緩めてそっと放す。

「すまない、痛くないか?」

「いえ・・・大丈夫です」

「どうした?」

「カカシせんせぇ・・・眠れない・・・」

 上目使いにソファの上のカカシを見つめ甘い声を漏らすに、その可愛らしい姿にカカシは思わずドキリとする。

「夕方まで眠っていたんだもんな・・・大丈夫、そのうち眠れるから。さ、部屋に戻って」

「そうじゃなくて・・・カカシせんせぇ・・・一緒に寝て?」

 の突拍子も無い発言に、カカシの鼓動は大きく高鳴る。

「なな、何を言ってるんだ。冗談言ってないで、部屋に戻って。ね?」

「ここで寝てもいい?」

「ダメダメ。部屋に戻りなさい」

「お願い・・・」

 潤むの闇に溶け込みそうな大きな瞳を見つめ、カカシは胸の奥が熱くなるのを感じ、ゴクリと喉を鳴らした。

「ダメだって。部屋に戻りなさい」

 このままを見ていたらどうにかなりそうだ、とカカシはソファから立ち上がって、を立ち上がらせようとする。

 益々瞳を潤ませるは、何の前触れもなく急にカカシに抱きついた。

「なっ・・・おい・・・っ;」

「ヤだ・・・」

 顔を上げ、すっとは、カカシの頭部に触れた。

 途端にカカシは目の前が真っ白になり、倒れ込む。









 月光が2人の身体を照らしていた。