【南瓜の煮物をアナタと一緒に】(5)









 霧雨の中、ゲンマは自分のアパートに戻ってきた。

 目を伏せたまま降り立つと、ドアの所にカカシがいるのに気付いた。

「カカシ上忍・・・」

 カカシは何も言わず、此方を見た。

 ゲンマは黙ったまま、鍵を取り出して開けた。

「・・・どうぞ」

 低く呟き、ゲンマは中に入る。

 カカシもそれに続いた。

 洗面所からバスタオルを2枚持ってきて、1枚をカカシに渡した。

 ゲンマ程ではないが、カカシも雨に降られて濡れていた。

 黙って受け取ると、カカシは身体を拭いた。

 ゲンマは寝室でベストを脱ぎ、額当てを外し、千本を机に置き、濡れた忍服を脱ぎ捨てて身体を拭き、着替えた。

 台所に戻って、湯飲みを2つ取り、茶を煎れた。

 ゲンマは食卓の椅子に腰掛け、湯飲みに口をつけるでなく、目を伏せて黙っていた。

 湯飲みを覆っていた手から、熱さが伝わってくる。

 冷え切ったの身体が温まっていくのが思い出された。

 その様子を見ながら、カカシは向かいに腰掛けた。

「・・・ゲンマ君、ちゃんは・・・」

「・・・にも・・・」

「え?」

「何も・・・言えませんでした。の元に向かっていた時には、ちゃんと言うことも考えていたんですが・・・アイツを見たら・・・何を言っても、言い訳だって思えて・・・」

「・・・それで良かったのかもね。オレも改めて考えていたら、第三者のオレが何言っても気休めにもならなかっただろうし、ゲンマ君が行くべきだったんだって。何も言わないことが、いい時もあるんだよね・・・」

 カカシは立ち上る湯気を見つめながら、淡々と呟いた。

「・・・オレは、忍びであることを誇りに思っているし、その任務に文句を思ったこともないですけど・・・やりきれないですね、今は・・・」

「忍びを辞めたいって・・・思う?」

「いえ・・・。今までオレを培ってきた全てが、オレである証なので、それを否定する気はありません。確かにオレは、任務や訓練で誰よりも多くの女を抱いてきました。でも、其処に愛情はありません。オレが愛するのは、だけです。このことがを傷つけ不安にさせているのは分かっていますが、だからといってそれを行ってきた自分を否定したり後悔したり恨んだりはしません。過去を含めて、それが元で、と愛し合えるようになったんですから。オレは今まで通り、を愛するだけです。黙ってオレの思いの丈を、態度でにぶつけるだけです。・・・そうすれば、も分かってくれると思います」

 両手の中の湯飲みが温くなっていく。

 でも、雨で冷えた身体は大分温まった。

ちゃんは純粋なコだから、今は不安でいっぱいだろうけど、時間が経てばきっと分かってくれるよ。あんなに一途にゲンマ君を想ってるんだもん、大丈夫だよ、きっと」

「暫くは会わねぇ方がいいんかな・・・」

 ふと呟く。

 会っても、普通に接する自信がない。

 にはいつも笑っていてもらいたい。

 沈んだ顔は見たくない。

 させたくない。

「そうだね・・・気持ちを整理する時間は作った方がいいと思う」

 窓の外は、再び雨足が強くなっていた。

 の胸中を表しているようだった。

「全て洗い流してくれ・・・なんて都合いいよな・・・」

 写真立ての中で、ゲンマと寄り添って嬉しそうに、恥ずかしそうに微笑んでいるを、ただ見つめていた。





















 は虚ろな目で、ベッドに横たわって宙を見つめていた。

 何も考えられず、ただ宙を見つめた。

 窓の外の雨の音も聞こえない。

 自分の胸の奥に降る雨の音の方が大きいのかも知れなかった。

 真っ暗な部屋で、時折雷光が照らした。

 ふと時計を見ると、夜中を回っていた。

 枕元に置いた写真立てを手に取る。

 ただ幸せで、毎日が特別な日のように輝いていた日々。

 恥ずかしそうに、はにかみながら写っている自分。

 不敵に、だがしかし優しさに溢れた顔のゲンマ。

「・・・笑い方・・・忘れちゃった・・・」





 “オマエは笑っている時が一番いい。ずっとオレの傍で笑っていてくれ”





 ゲンマはよくそう言っていた。

 でも、今の自分は、ゲンマの前で笑うことが出来ない。

 会って何を話せばいいのかも分からない。

 ゲンマに会って、優しく抱き締められたい。

 だが今はまだ会えない。

 ゲンマを悲しませたくない。

 重荷に思われたくない。

 責任を感じられたくない。

 は、忍びであるゲンマを好きになったのだから、どんな任務をしていようが、それが抵抗のあることでも、否定する気はなかった。

 でも改めてまざまざと聞かされ、冷静でいられる程大人でもない。

 色んな経験を経たからこそ現在のゲンマがあるのだから、拒否はしないが、やはり胸中は複雑だ。

 すぐに忘れられることでもない。

「考えちゃダメ・・・ゲンマさんと一緒にいて楽しかったことを思い出そう・・・笑ってゲンマさんに会いたいから・・・」

 は目を瞑り、思考を巡らせた。









 気が付くと、窓の外は白んでいた。

 一晩中降り続いた雨も止み、朝靄の中朝日が射し込んでいる。

 結局一睡も出来なかった。

 ゲンマとの楽しい日々を色々と思い出そうとしていたが、その度にアンコの言葉が大きく首をもたげてきて、視界が暗くなる。

 打ち消そうと、昨夜浴室でゲンマと抱き合ったことを思い出そうとした。

 ゲンマの優しさに包まれていれば、不安など無い。

 腕の中の温もりが、淀んだ空気を掻き消してくれる。

 “愛してる”

 これまでゲンマが幾度となく言ってくれた言葉をリフレインする。

 大好きな低く甘い声。

 愛の言葉を囁かれる度、胸の内がほんわかと暖かくなって、舞い上がるような夢心地になる。

 今までのゲンマの行動、言葉、全ては真実だ。

 それが全てだ。

 揺らぐことのない、真実。

 他は考える必要はない。

 そう考えたら、少し気分が晴れた。

 射し込む朝日が、清々しい気持ちになれた。

 夜の雨が全て流し去ってくれたのかも知れない。

 ベッドから起き上がって、窓辺に立ち、外を見る。

 新聞配達の少年、仕入れから帰ってくる業者。

 生い茂る緑が、瑞々しかった。

「もう夏が近いな・・・」

 窓を開けて、ひんやりした空気を吸い込んだ。

 ふと視線を感じたので顔を動かすと、窓の桟に橙色の小鳥が留まっていた。

「オボロさん! どうしたの?」

「いや・・・オマエの様子が気になってな」

 オボロは羽ばたいて、室内に入ってきた。

「え・・・ゲンマさんに言われて?」

「いや。昨日、行方不明のオマエを捜しに行って、見つけてからずっと此処にいた。オマエが不安に押し潰されそうになっていたら掛ける言葉を考えていたんだが、何も思い浮かばずにただ様子を見守っているしかできなかった。主が何も言わねぇのに、オレが何かを言うこともねぇしな」

 そういう無粋もどうかと、とオボロはゲンマにそっくりな喋り方でを見つめた。

「有り難う。確かに今はまだ完璧大丈夫とは言えないけど、大分落ち着いたよ。ゲンマさんのこと信じてるから。だから大丈夫」

 はぎこちなく、柔らかく微笑んだ。

「無理に笑わなくてもいい。、仕事は何日か休め」

「え、でも・・・」

「オマエは働き過ぎだから、たまには思いっ切り遊べ。買い物したり温泉行ったり、普段出来ないようなことしてこいよ。そういう気分転換も必要だ。働きづめのご褒美だと思って」

「ん〜でも、八百屋のおじさん達に悪いよ。そんなに休むなんて」

「オレが上手く話し付けてやる。気の良い夫婦だから、オマエのことは我が子のように思ってる。たまに遊ぶくらい、進んで許してくれるさ」

「そうかな・・・でも・・・」

「今のままじゃ、仕事だって差し障りが出るかも知れねぇだろ? 気分転換と、ゲンマと暫く距離を置くことが、今のオマエには必要だよ」

 今ゲンマに会えるか? とオボロは問う。

「ん・・・ううん・・・今は・・・ちょっと・・・」

「ゲンマには今大きい任務が控えている。昨日までの任務は、下調べだったんだ。だから暫く里から離れる。自分を見つめ返す、良い機会だろう?」

「そっか・・・うん。何があろうと、私がゲンマさんを好きなことには変わりないしね。私、誓ったの。今度会う時は、笑って会おうって。一緒に笑いながらかぼちゃの煮物を食べようって。ゲンマさんが好きだって言ってくれた私でいたいから。だけどちょっぴり大人になって、お子様を卒業するんだ。どうしたらなれるのかは分からないけど」

「あるがままの自分でいいだろ。無理に背伸びする必要はねぇよ。生き急いだってロクなことはねぇぞ」

「あはは。オボロさん、それゲンマさんの口癖だよ。口寄せ鳥って、こんなに主人に似るものなの?」

 喋り方までそっくり、とは笑った。

「アイツがガキの頃から、長年オレが一番多く接してきてるからな。オレが似てるんじゃねぇ、ゲンマが似てるんだ」

 吐き捨てる様子が本当にゲンマにそっくりで、は腹を抱えて笑った。

「あははは・・・おっかし〜!」

「笑えるようになったな」

「え?」

「オマエは笑ってる時が一番いい。いつもゲンマの傍で笑っていてくれ」

 いつもゲンマに言われている台詞を、そっくりオボロは言った。

「・・・有り難う、オボロさん。私を元気づけようとしてくれてるんだね。大分気持ちが楽になってきたよ。よし、朝ご飯作ろうっと。オボロさん、何か食べられる?」

 ベッドに腰掛けていたは拳を握って立ち上がり、台所に向かった。

「鳥の餌置いてるのか?」

 確かに腹減った、とオボロは羽ばたいて後をついていく。

「あ、無い。人間の食べ物は食べられない?」

「無理言うな」

「人間に変化できないの?」

「口寄せ動物の中には出来るものもいるが、相当のチャクラがねぇと出来ねぇよ」

「ん〜・・・何か無いかなぁ・・・」

「かぼちゃあるか? 生のかぼちゃ」

「あるよ。かぼちゃはきらさないようにしてるから。かぼちゃの煮物食べられるの?」

 ひょい、とはかぼちゃの切り身を見せた。

「違うっつの。種だよ。種を砕いたのをくれ。後、水」

 ひとまずそれでいい、と椅子の上に留まった。

「成程。じゃ、煮物作りながら、砕くね」

 はかぼちゃを適当な大きさに切り、軽く皮を剥いて、鍋を火にかけた。

「水はもう少し少ない方がいいな」

 ガスレンジの傍に留まって、オボロが呟く。

「え? でも蒸発して焦げちゃうよ」

 オボロさんも焼き鳥になっちゃうよ、と火加減を見る。

「焦げない程度にだよ。ゲンマは水は少なくしているからな。水加減が、美味しくできるコツの一つだ」

 オレまで焼くなよ、とオボロはの肩に留まる。

「へ〜。難しそう。感覚だもんね。調味料のさじ加減もそうだし、オボロさん教えて。ゲンマさんは、私のは充分美味しいからって、教えてくれないの」

 もっと美味しく作りたい、と調味料を手に取る。

「じゃ、ゲンマが戻るまでの間、特訓しろ。オマエは料理は一通り出来るだろ? 作っては食べて、食べては作って、コレという味を見いだせ」

 オレは基礎的なことしか分からねぇ、食ったことねぇし、と呟く。

「よ〜っし、ゲンマさんをビックリさせちゃおう!」

 はオボロに教わりながら調味料を入れ、煮ながら種を砕いた。

「何か、見た目も前より美味しそうに見えるよ」

 炊き上がった炊飯器から白米をよそい、茄子の味噌汁をよそい、おかずを並べ、オボロ用に小皿にかぼちゃの種の砕いた物を入れ、水皿も並べ、食卓に着いた。

「いただきま〜す」

 まず味噌汁を啜り、かぼちゃを口に放り込み、ムグムグ味を確かめる。

「あ、ちょっと味変わった。もちょっと甘い方がいいかな・・・」

 まだ深い味にはならないなぁ、と飲み込む。

「料理は場数、年期だよ。特にかぼちゃの煮物は、あのかぼちゃ馬鹿はガキの頃から年がら年中作ってばっかいたからな。機密文書の管理じゃなくてかぼちゃの栽培でもしてろってんだ」

 食えねぇオレまで作り方覚えたっつの、と種を食べながらオボロは吐き捨てた。

「あはは。ゲンマさんって、忍びを引退したら、家庭菜園でもやって、美味しい煮物の研究でもしそう」

「その隣にはオマエがいるってこったな?」

「えっ、そそそ、それは・・・っ」

「一緒に畑耕して、研究助手すんだろ?」

「あ、何だ、そういうこ・・・」

「嫁さんとして」

 は真っ赤になって、箸を取り落とした。

「行儀悪ィな。飯くれ〜ちゃんと食え」

 は床に落とした箸を拾って、流しで洗って戻った。

「あの・・・オボロさん?」

「何だ」

「その・・・ゲンマさんって、そういう話・・・どういう風に言ってるの?」

 真っ赤になりながら、ゴニョゴニョと味噌汁に口を付けた。

「ま、色々と聞いてるけどな。それはゲンマから直接聞くことだろ。オレが言うことじゃねぇ」

 オレが言ったって嬉しくねぇだろうが、とオボロは水をぴちゃぴちゃ飲みながら、言い放った。

「そ、そうだよね・・・ゴメンナサイ」

「何処ぞの貴金属店を気にしてるけどな」

「アクセサリーなら色々貰ってるよ。ネックレスとか」

 ホラコレ、と首のネックレスを見せる。

 小粒のダイヤがあしらわれた、高価そうな物だった。

「そうじゃなくてな。ゲンマはよく、オマエの指を見てるぜ」

「えっ」

 は咄嗟に、左手の薬指に触れた。

 再びポッと赤くなる。

「予約されるのも近いんじゃねぇの?」

「よ、予約って・・・」

「本番の前の前っての?」

「そ、それって・・・今はまだ早いって言ってた・・・こと、かな?」

「さ〜な。人間の色恋は知らん。サッサと食えよ。早食いは消化に悪ィが、遅いのも良くないぜ」

「あ、うん」

 天使がラッパを吹きミルキィロードが目の前を流れた。

 浸りながら、は食べた。

 ふと気付く。

 オボロの会話の誘導が、随分と気を軽くしていることに。

「あの・・・オボロさん?」

「何だ」

 は、餌を食べ続けるオボロをじっと見つめた。

「何だよ」

「あの・・・実はゲンマさん・・・だったり・・・しない、よね?」

 頬を染めて、オボロを見つめる。

「・・・・・・」

 オボロは黙って顔を上げた。

「やっ・・・」

「オレはオレだよ。ゲンマじゃねぇ。期待に背いて悪ィがな。だが、オレの言ってることはゲンマが言ってるものだと思って構わねぇよ」

「そ・・・そう・・・」

 ちょっぴりがっかりした。

 今はとてもゲンマに会える状態ではないのに、心は正直で、ゲンマを求めてしまっていた。

 味噌汁を飲み干すと、立ち上がって食器を洗いながら、考える。

 いくら長年の付き合いの鳥でも、これ程までに的確にの心を掴めるものだろうか。

「ねぇ、オボロさん、ゲンマさんって、何でほうれん草は買っていかないのかな?」

「嫌いだからだろ?」

「あ、やっぱり? ほうれん草勧めても、いつも、いや、いい、って言われるから、昔からずっとそうだったから、食事作る時もほうれん草は出さないようにしてたんだけど。何で嫌いなの?」

「草なんか食えるかっつってた。代わりにオレが食ってたけどな」

「カボチャと同じ緑黄色野菜だよ。ゲンマさんでも好き嫌いあるんだ」

「結構ガキだぜ、アイツ。オマエの前では、“カッコイイ大人のゲンマさん”のフリしてるけど、何カッコつけてんだ、って砂吐きたくなるからな。三十路間近だってのに、オコチャマなんだよ。この前だってな・・・うわっ」

 オボロは足を滑らせて、水皿に突っ込んだ。

「大丈夫?」

「あぁ、いや、何でもねぇ。ついな」

 もう夏だしな〜、と羽ばたいて水を払った。

「水浴びするんならもっと深い入れ物持ってこようか?」

「いいよ。それより、オレは小間使いだから、その役割は他にもいるから、暫くオマエの相手してやるよ。1人になりてぇなら、帰るけどよ」

「ん〜、今日はちょっと1人でゆっくり考えたい。温泉でも行って、リフレッシュしてくるよ。明日、ウィンドウショッピングで歩き回りたいから、買う物決める時の意見聞かせて」

「了解。じゃ、一旦オレは戻るぜ。用があったら、この紙を広げろ」

 そう言って、右足に結ばれている紙を、足を出して見せた。

 結ばれた紙が、更にこよりで結ばれていて、手で触れたらの掌にぽとりと落ちた。

「? コレ何?」

「口寄せの術式が書かれている。開くと、オレが現れるって寸法さ。この術式は、契約しなくても、血判が無くても、誰にでも使えるモノだ」

「へ〜。左足についてるのは何?」

 見ると、左足にも何やら紙が結ばれていた。

「コレは別件。じゃ、ゆっくり気分転換してこい」

 オボロは羽ばたいて、窓の外へと出て行った。

 は掌の上の紙を摘んで見つめつつ、飛び立っていったオボロの後を見送っていた。

「もしかしたらゲンマさんがオボロさんの姿で私を励ましてくれてたのかなって思ったけど、ゲンマさんだったらあそこまで言わないか・・・」

 何度もゲンマに言われている気がして、鼓動が逸った。

 ゲンマとくつろいでいる時を思い出した。

 ゲンマが居るように錯覚した。

「気のせいか・・・でも、アレはゲンマさんだったって思っちゃお。結構、普通に喋れたよね。大丈夫かも・・・」

 大分気が楽になり、は温泉に行く支度を始めた。











 のアパートからほど近いゲンマのアパート。

 オボロはドアの前で手摺りに留まり、左足の紙を、右足でひっかくように解き、端をくわえて振って、開いた。

 口寄せの術式が書かれてある。

 紙は煙に巻かれ、中から人間が現れた。

「テメ〜、ゲンマ! 何しやがるんだ! オレを溺れさせる気か!」

 現れた人物は、忍服姿のゲンマだった。

「そりゃオレの台詞だろうが! オレの代わりにの不安をほぐしてくれとは言ったが、余計なこと喋りすぎだ! オレが言った言葉以外加えすぎだ!」

 顔を赤らめながら、罵声を浴びせる。

「いいじゃねぇか。恋する乙女は愛する男のどんなことだって知りてぇモンだぜ? お陰では大分落ち着いたんだ。感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはないぜ?」

「煩ぇ、焼き鳥になりてぇか!」

「動物虐待! 訴えるぞ!」

「そんなトコで何もめてんの。火影様がお呼びよ。早くしなさいよ」

「まだ早ぇだろうが、アケビ。こんなトコに何の用だ」

 長い黒髪を結い上げて垂らした姿が実に色っぽい、くの一だった。

 向かいの家屋の屋根の上で、呆れている。

「通りかかったついでよ。重要任務なんだから、シッカリしてよね、隊長?」

 仕返しとばかりにゲンマの顔を羽根でなぞるように消えていったオボロに舌打ちしながら、ゲンマは跳び上がって、アケビと共に火影邸へ向かった。

「因果なモノね。こんな時に、この任務は」

 屋根の上を駆けながら、アケビは呟いた。

 どうやら、の一件を知っているようだった。

 ゲンマは黙っていた。

「・・・気持ちを切り替えてよ。アンタがシッカリしてなくちゃ、この任務は上手くいかないんだから」

「・・・分かってる。任務に私情は持ち込まねぇよ。・・・やりきれねぇけどな」

 低く呟き、口をきつく結ぶ。

 複雑な表情で、アケビはゲンマを見遣り、そして思考を切り替え、火影邸前に降り立った。















「ふぅ・・・目が覚める・・・気持ちイ〜」

 は温泉街に来て、一日中くつろいでいられる温泉ランドで、露天風呂に浸かっていた。

 程よい温度の湯に浸かっていると、蒸気に包まれ、無心になれた。

 心の澱を全て浄化してくれるようだった。

 膝を抱え、肩まで浸かっていた。

 目を伏せ、自分の身体を見遣る。

 昨夜の、ゲンマの体温がまだ身体に残っているようだった。

 冷え切った身体が互いにどんどん温まっていき、互いの温もりで温め合った。

「・・・そう言えば・・・裸で抱き合っちゃったんだっけ・・・」

 あの時は何も考えられなかったから、余り覚えていないが、ゲンマの腕の中がとても心地好かったのは覚えている。

 裸で抱き合い、絡み合い、熱くキスを交わした。

 思い出すと、火照ってくる。

 あの時確かに、ゲンマはしか見ていなかった。

 他のことは一切考えていなかった。

 それで充分だ。

 真っ直ぐに、ただだけを見ていてくれたのだから。

 言葉はなくとも、愛を感じた。

 何百回と囁かれる言葉よりも、重みを感じた。

「ゲンマさん・・・私もゲンマさんのこと、愛してるよ・・・」

 今度会う時には、ちゃんと言おう。

 “愛してる”と。

 受け身は卒業するんだ。









 色んな温泉に浸かったり昼寝したりして、のんびり休んだは、夕暮れの中、家路に着いた。

 色んなことを考え、振り返り、気持ちは大分落ち着き、整理できた。

 確かに思い出すと辛いけれど、もう考えないことにした。

 アンコも、自分を思いやっての発言だったのだ、と分かっていた。

 応援してくれるアンコの優しさ、止めようとしてくれていたカカシの優しさ、は大切な友人達に、感謝する。

「今度会ったら・・・お礼言おう・・・」

 気持ちを切り替え、は軽快に歩いていった。





「夕飯どうしようかな。かぼちゃの煮物はちょっとしか作らなかったから全部食べちゃったし、研究・・・しようかな、それとも今日は外食しちゃおうかな・・・」

 食事処の良い匂いが、空腹を誘った。

「今日は自分へのご褒美ってことで、贅沢しちゃおう。贅沢した一日の最後の締めくくりに」

 ゲンマといつも寄る定食屋に行って、いつも食べる定食を頼んだ。

 贅沢と言いながら、いつも通りのが、らしいと言えばらしかった。

「流石土曜日・・・混んでるなぁ」

 お茶を啜っていたら、店員に相席を頼まれた。

 二つ返事で快諾すると、と同じ年頃の青年だった。

 青年は暫くメニューを見て悩んでいたが、一番安い丼物を頼んでいた。

 の定食とかぼちゃの煮物が運ばれてきて、は向かいの青年に、お先に失礼しますね、とニッコリ微笑むと、食べ始めた。

 青年はを見て真っ赤に照れながら、目を合わせられずに下を向いてお茶を啜っていた。

 ゲンマの言う、食事処で一番美味しいかぼちゃの煮物を出すこの店で、はかぼちゃを食べながら、コツを聞けないかなぁ、と考えていた。

 でも、には、ゲンマの作る方が好きだった。

 同時に、いつもゲンマと一緒に来るから、ついいつもの調子で煮物を頼んでしまって、食べきれないなぁ、と思った。

 向かいの青年の丼が運ばれてきて、青年はガツガツと食べ始めた。

「あの・・・」

「はっ、はい!」

 に声を掛けられた青年は、ビクッとして、食べる手を止めた。

 真っ赤になったまま、目を見れずに視線を泳がせている。

「それだけじゃ足りなくないですか? 私、この煮物全部食べきれないし、私の箸付けちゃってますけど、ご迷惑でなかったら、食べませんか?」

「え・・・いいんですか?」

「見ず知らずの人間の食べかけがお嫌でなければ。男の人って、いっぱい食べるでしょう? そのちっちゃい丼だけじゃ、足りないでしょう?」

「その・・・お金無いもんで・・・有り難う御座います」

 あたふたしながら、青年はゴクリと喉を鳴らし、恐る恐る煮物を口に放り込んだ。

「あ・・・美味い」

「此処のって、美味しいんですよ。栄養あるし、全部食べちゃっていいですから」

「す、すみません」

 食べ終わったは、食後のお茶を啜って、一息つくと、立ち上がった。

「お先失礼しますね」

 ニッコリ微笑んで、会計に向かう。

「あ、有り難う御座いました!」

 青年は頬を染めたまま、暫くの消えた先を見つめていた。













 アパートに戻ってきたは、風呂に入る必要もないので、洗濯物を洗濯機に突っ込んでセットして、ベッドに転がった。

 洗濯機の回る機械音を聞きながら、天井を見つめる。

 ポニーテールを解いてゴムを置き、枕元の写真立てを手に取り、上にかざした。

 暫く見つめ、胸に抱き締めた。

「たまにはこういう日もいいよね・・・でも、おじさんおばさん、休んじゃってゴメンナサイ・・・」

 昨夜一睡も出来なかった

 温泉で、張りつめた緊張もほぐれた。

 不安も流れた。

 次第に睡魔に襲われて、いつの間にか眠っていた。







 ふと目を覚ますと、眩しい光が窓から射し込んでいた。

 上体を起こして外を見たら、すっかり朝だった。

「あちゃ〜、あのまま寝ちゃったんだ。いっけない! 洗濯機!」

 抱き締めていた写真立てを大事そうに枕元に立て、は慌てて洗濯機に元に向かった。

 蓋を開けると、洗濯物は絡み合ったまま、大分乾いていた。

「きゃ〜、シワだらけ! もう一回洗った方が良いかなぁ。お水溜めて濡らして、脱水するだけでいいかな・・・」

 セットし直して、部屋に戻った。

 ドレッサーの前で髪を梳かし、ポニーテールに結ぶ。

 暫く鏡を見つめていた。

「良かった・・・いつも通り、ゲンマさんとデートしてる楽しい夢見れたし。ゲンマさんはいつも通り優しかったし。目覚まし時計かけなかったから、いいトコまで見れたしね。こんなんで元気になれちゃう私って、お手軽だなぁ」

 ふふ、と顔を染めて、洗面所に向かう。

 顔を洗って、再び鏡を見つめた。

「・・・昨日・・・一昨日か、までの私って、どんな顔してたんだろ。酷い顔してたんだろうな・・・」

 今はもう、いつも通りの自分。

 ゲンマに会って笑えるかどうかと言ったらまだ自信は無いけど、きっと大丈夫。

 洗濯機の終わったブザーを聞いて、洗濯物を干した。

「オボロさん、いつ来るかな。待っててもいいけど、この口寄せの術式ってのも、どうやって出てくるかも見てみたいし。開いちゃお」

 ドレッサーに置いていた紙を、ゆっくりと解いていく。

 渦のように吸い込まれる文字が動いて、煙に巻かれて橙色の小鳥が現れる。

「おはよう、オボロさん」

「おぅ。その様子じゃ、大分元に戻ったようだな」

「うん。有り難う」

「朝飯食ったのか? オレはまだ・・・」

 呼び出されるとは思わなかった、とオボロは台所に飛んでいった。

「朝ご飯はこれからなの。さっきまでぐっすり寝ちゃってて。昨日の帰りに鳥の餌も買ったから、オボロさん食べて」

 ホラ、と包みを見せる。

「悪ィな。でもま、しっかり寝たんなら、良かったぜ。顔色も大分良いしな」

「そんなに私酷かった?」

「まぁ、な」

 その先は敢えて何も言わないオボロが、ゲンマのようで、は落ち着いた。

 簡単に朝食を作り、オボロと共に食べた。

「昨日はね、贅沢して、お昼も夜も外食しちゃった」

「オマエの贅沢って、安いよな。お手軽っつ〜か。普通贅沢ってのは、奮発して高級料理、とかだろ?」

「え〜、勿体ないよ。それに余計に疲れちゃう」

 ゲンマはのこういう所が好きなんだろうな、とオボロは思った。





「さて、今日は買い物だっけな。何処に行くんだ?」

「ん〜、特に決めてないよ。普段は行けないようなトコまで足を伸ばそうかなって思ってるけど。色んなモノ見たいし」

 は支度を済ませ、オボロと共に出掛けた。









 日用雑貨の店に寄ろうとするをオボロは止め、そういうのは帰りにしろ、いつもと同じじゃつまらねぇだろ、と呆れた。

「服買えば?」

「ん〜、ゲンマさんにいっぱい買って貰ってるから、そんなにあっても勿体ないよ。でも、下着買おうかな」

 は可愛い服飾店に入った。

「オボロさんって、雄だよね?」

「藪から棒に何だ。雌に見えるか」

「見た目じゃ分かんないよ。鳥には詳しくないし」

「鳥でも男に見られてるのは恥ずかしいってコトだろ? 後ろ向いてるから、サッサと買え」

 くる、との肩の上で背を向けた。

「あはは。何かゲンマさんといる気分で、何かね」

「ゲンマは遠い空の下だ。厄介な任務中だから、此処にはいねぇよ。安心しろ」

「う〜ん、いないってハッキリ言われると寂しいけど。そんなに大変な任務なの? どれくらい戻れないの?」

「諜報部隊の隊長のゲンマの班と、副隊長のアケビの班の二小隊が出ているからな。相当大掛かりだ。潜入諜報任務ってのは、相手次第だから、サッサと終わることもあれば、長引くこともある。ま、今回は諜報部隊のトップを担う連中総出だから、長引くことは必須だ。一週間やそこらじゃ帰っては来れねぇだろうよ」

「諜報・・・部隊・・・潜入・・・」

 それはつまり。

 思わず、アンコの言葉がよみがえる。

 オボロは、こんな時にこんな任務をすることになったゲンマのやりきれなさを、には言えなかった。

 思い出させたくなかったからだ。

「・・・おい、買うモン決まったのかよ」

 話題を変えようと、オボロは振り返った。

「あ、うん」

 ふるふる、とは小刻みに頭を振って、気持ちを切り替えた。

 会計に向かう途中、パジャマコーナーが目に映る。

「パジャマ変えるのも気分転換だろ?」

「ん〜、ゲンマさん家に置くのを買ったばかりだしな〜。でも、そうそう泊まる訳じゃないしね。どうしよっかな」

 可愛いパジャマ達に目移りしながら、揺れていた。

 オボロはセクシーなネグリジェを見て、羽ばたいた。

「おい、コレにしろよ、コレ。ゲンマ喜ぶぜ」

「えぇぇっ?! ヤだよ、恥ずかしいよ」

 は真っ赤になって、手を振る。

「裸で抱き合った仲じゃねぇか。今更照れんなよ。ムード作るんなら、視覚からも攻めねぇとな」

 ホレホレ、との頭の上で羽ばたいた。

「に、似合わないよ」

「そんなことねぇよ。オマエスタイルいいし、こ〜ゆ〜ので誘えば、ゲンマだって喜ぶんじゃねぇ? カッコつけてるけど、アイツの頭ん中は、オマエでいっぱいだからな」

「えっ」

「煩悩でいっぱいっつ〜のかな。好きな女が可愛いカッコで誘ってきて喜ばねぇ訳ねぇだろ。理性なんてスッポ〜ンって飛んじまうぜ」

「で、でも、ゲンマさんってそういうのは慣れてるんじゃ・・・」

「好きな女は別格に決まってるだろ? ゲンマは任務で出会う女や同僚なんて、芋か大根くれ〜にしか思ってないぜ。大根が服着てるか着てねぇかってくれ〜でな。それが好きな女だと、チェリーボーイみてぇにトキメイテんだから、笑えるよな」

 はオボロの言葉に、他の女達を可哀相に思いつつも、心がほんわかとしてきた。

「ホレホレ、買っちまえよ」

「う、う〜ん・・・でも・・・」

 散々悩んだ挙げ句、は一番清楚なネグリジェを選んだ。

「つまんねぇの。オマエのダイナマイトボディとセクシーなヤツでゲンマをメロメロにすればいいのによ」

「やっ、恥ずかしくって無理っ!」

 会計を済ませ、ワイワイ言い合いながら、店を後にした。





「どうせなら、パ〜ッと散財しちまえよ。思い切って、高いモン買うとかよ」

 通りを歩きながら、あちこちの店を伺って、何処に入ろうか考えた。

「え〜、勿体ないよ。そんな高いモノで欲しいのなんて無いし。それに、鬱憤晴らしたいんじゃなくて、気分転換だから、ささやかでいいって」

「つくづく安く上がるヤツだな、オマエ」

「3日連続でお休みしてるだけで、充分贅沢だよ。あ、このお店可愛い。入ってみようっと」

 ファンシーショップを見つけ、は入っていった。

「わぁ、どれも可愛いv 目移りしちゃう」

 色々手に取って見ながら、欲しい雑貨が沢山あって、は思い切って、買い物かごを持ってきて、中に入れていった。

「女ってファンシーなモン好きだな。見てるだけで鳥肌立ってくるぜ」

 オボロは、ファンシーな雰囲気がどうも馴染めないようだった。

「あはは。鳥が鳥肌立てるの?」

 シンプルな部屋に住むは、思い切ってメルヘンにしよう、と可愛い小物を選んでいった。

 ふと、ぬいぐるみ人形が目に入る。

「あ、この人形、ゲンマさんに似てる。髪の色とか、目付きの鋭いトコとか。可愛い〜v ベストと額当て作って着せたら、まるっきりゲンマさんみたい」

 よし、買っちゃおう、と手に取る。

「どうせならあっちの黒い髪のヤツも買えば?」

「え?」

 羽ばたくオボロの足が指し示したのは、ポニーテールの女のコの人形だった。

「オマエに似てるじゃん。2人並べて手を握らせて、って、うっわ、さっむ!」

 ワイワイと、この店には随分長居していた。







 色んな店に行き、大分買い込んだは、大きな荷物を抱え、帰路に就いていた。

「わ〜、いっぱい買ったなぁ。ホントに贅沢なお休みだよ・・・」

「女は買い物で気分転換するらしいからな。雄の、まして鳥のオレにゃよく分からんが、何よりだ」

「うふ。お部屋可愛くしちゃおうっと。今日の夕飯は何作ろうかな・・・」

「かぼちゃはもう決まってんだよな」

「うん。あと・・・どうしよ。鶏の唐揚げ?」

「ヤメロ」

「あはは。冗談よ。野菜炒めにしようかな」

 夕暮れ、そこかしこから良い匂いが漂う。

「あ、焼き鳥だ。良い匂いv 美味しそ〜」

「ヤメロって言ってんだろ」

「冗談だってば。ゲンマさんも鶏肉料理作らないから、大丈夫だって」

「別にオレは鶏じゃねぇから、栄養あるからいいけど、オレの前では食うな」

「食べないって。っと・・・買い物袋が・・・」

 無理矢理抱えていた荷物を取り落としてしまった。

「あ〜ん、買いすぎたよ。アパートまでまだあるのに。あ、すみません」

 通行人が、拾ってくれた。

「いえ・・・大丈夫ですか・・・あ!」

「え? あ・・・昨日の・・・」

 昨夜の食事処で相席した青年だった。

「奇遇ですね。お仕事の帰りですか?」

「は、はい、あの・・・オレ、甘栗甘で働いてて・・・」

 の笑顔が眩しくて直視できない青年は、真っ赤になってしどろもどろに答えた。

「あ、そうなんですか? あそこの栗ぜんざい、美味しいですよね。でも、アナタのことは初めて見るけど・・・」

「オ、オレ、つい最近郊外から引っ越してきて・・・働き始めたばっかで、給料少ないから、あんまり金無くて・・・」

「男の人っていっぱい食べるから、お金かかりますよね。あ、それゴメンナサイ。つい買い過ぎちゃって」

 青年が持ってくれていた荷物を受け取ろうとした。

「あ、オレ、運びますよ。大変でしょう」

 真っ赤な顔のまま、他の荷物にも手を差し出す。

「え、でも、そんな・・・」

「昨日のお礼です。煮物美味かったです」

「そうですか? じゃあ、お言葉に甘えて、お願いします」

 帰る道すがら、は青年と色々話した。

 青年は、忍びだった父親を早くに亡くし、それから今まで郊外で病気の母親を看病しながら農場で働いていて、その母親も亡くなり、塞いでいたのを、思い切って中心部に越してきて、貯金を切り崩しながら生活していると言っていた。

 も、九尾の事件で両親を失ったことなどを話した。

 オボロは渋い顔で、黙って後をついていった。

「あ、此処です。有り難う御座いました」

「いえ。じゃ」

「あの、晩ご飯まだですよね? お礼に食べていきませんか?」

「えっ、で、でも、お礼って、オレの方がお礼で・・・」

「外食ばかりじゃ、栄養も偏るし勿体ないですよ。大したおもてなしは出来ないけど、良ければ」

「い、いいんですか?」

「えぇ。1人分も2人分も同じですから。すぐに作っちゃいますから、上がってお茶でも飲んでて下さい」

 ニッコリ微笑み、は中を促した。

 青年は真っ赤のまま、恐る恐る入った。

 勧められて食卓の椅子に座ると、の煎れたお茶の湯飲みを引き寄せた。

 飲むどころではない青年は緊張して、部屋をキョロキョロ見回していた。

 は鼻歌交じりに、調理に取り掛かる。

「・・・おい!」

「ん?」

 オボロはの肩に留まり、声を潜めた。

「見ず知らずのヤローなんか易々と家に入れんなよ。オレはゲンマにオマエを守るように言われてんだ。何かあったら・・・」

「大丈夫よぉ。そんなに悪い人には見えないし。困ってる人を放っておけないしね。もし何かあったら、オボロさんがいるモン、平気よ」

「でもな・・・」

「オボロさん、お腹空いたんでしょ。お昼も食べてないもんね。どうぞ」

 は餌を受け皿に入れて、水皿と共に食卓に置いた。

「と、鳥にさん付けですか?」

「え? あはは、私より長生きだから」

 は笑って、調理に戻った。

 オボロは渋々、餌を食べ始める。

「・・・ん! 美味し! 出来た!」

 味見を済ませ、は食卓を飾った。

 美味しそうな家庭料理に、青年は喉を鳴らす。

「お口に合うか分かりませんけど、どうぞ」

 も向かいに座って、いただきます、と揃って食べ始めた。

「う、美味いです!」

「そうですか? 良かった。どんどん食べて下さいね」

「は、はい!」

 青年はガツガツと食べていく。

 一通り食べ終わると、は再びお茶を煎れた。

 大分落ち着いたらしい青年はお茶を啜りながら、洗い物をしているの背中を真っ赤な顔で見つめていた。

「あ、あの、有り難う御座いました。こんな美味い飯食ったの、久し振りです」

「そう言ってもらえると作ったかいがあります。いつも外食なんですか?」

 洗い終わって手を拭くと、向かいに座ってお茶を含んだ。

「オ、オレ、料理は殆どしたことなくて・・・お袋が生きてた頃は、隣のおばさんが面倒見てくれてたんで・・・お粥くらいしか作れなくて」

「でも、外食ばっかりだと、栄養偏るし、お金もかかりますよ。お料理覚えた方が、家計も節約できますよ。そうだ、この本、簡単な料理の作り方が載ってるから、差し上げますから、チャレンジしてみて下さい」

 そう言っては、大分昔に買った料理の本を青年に差し出した。

「お粥が作れるんなら、他の料理だって作れますよ。覚えちゃえば簡単ですから」

「が、頑張ります」

 すっかり暗くなって、青年は慌てて帰ろうとした。

「私、南商店街の八百屋で働いてるんです。いらして下さったら、安くしますよ。お料理のコツとかもアドバイスしますから、頑張って下さいね」

「あ、有り難う御座います。お休みなさい」

 ニッコリ微笑んで見送るに後ろ髪引かれながら、青年は出て行った。

「ん〜、煮物の研究は暫く続きそうだなぁ。なかなか、コレだ、って味にならないよ」

 さっきの人は美味しいって言ってくれたけど、まだまだ、と台所の電気を消してベッドに腰掛ける。

「ったく・・・オマエってお節介だな」

 渋い顔で、オボロは枕元に留まった。

「あぁいう人はお店にもよく来るから、ついいつもの癖でね。同じ年頃の人ってあんまり知り合いいないから、親近感がね」

 今日買った袋の中からにぬいぐるみ人形を取り出して、プラプラ動かした。

「あのな、誰にでも愛想振る舞うなよな。勘違いするだろうが」

「愛想振る舞うのはそういうお仕事だもん。仏頂面じゃ、お客さん来ないよ。勘違いって?」

 は気付いていないようだった。

「・・・修羅場にならなきゃいいけどな」

 鼻歌交じりに袋を開けて買った物を取り出しているを見ながら、オボロは聞こえない程度に吐き捨てた。

「よし、このお人形をゲンマさんに変身させちゃおう!」

「・・・本気かよ・・・」

 オボロは呆れながら、の裁縫を眺めていた。

 窓の下で青年が見上げていたのには気付いていたが、は知らずに楽しそうに裁縫をしていたので、警戒しつつも、黙っていた。

 夜遅くまで、は部屋の模様替えをしていて、可愛くなっていく部屋に、大分元気を取り戻していたのだった。

 ふと窓の外の月を見つめ、ゲンマを思い出し、微笑む。

「私はもう大丈夫だよ・・・」















 一方、同じ月を見上げていた、仮眠中のゲンマ。

 月に、笑っているを重ねて見ていた。

 任務中は完全に忍びモードだったので、のことは奥深くに包み込んでいた。

 でも、時折手が空くと、が思い出される。

 泣いてはいないだろうか。

 不安に押し潰されていないだろうか。

 昨日の様子だと、大丈夫そうだったので、安心して任務に就いていた。

 オボロがついているのだから、大丈夫だろう。

 任務は長引きそうだ。

 当分には会えない。

 掌を見つめ、の感触を思い出す。

・・・」

 空高い月が、ゲンマを照らしていた。

 目を伏せて集中していくゲンマは、気持ちを切り替え、任務に戻った。

 に忍び寄る影を、今はまだ知らない。