【南瓜の煮物をアナタと一緒に】 (9) 月も隠れた闇夜、真っ暗な部屋で、はベッドの上に転がって天井を見つめていた。 泊まっていくと言っていたゲンマは、帰ってしまった。 明らかにおかしな様子で。 思えば、夕方、ゲンマの先輩というリホクという女性に会ってから、ゲンマは様子が一変した。 昔、リホクと一体何があったのだろう。 上司と部下という立場、それ以外に何があるのか。 同性のから見ても、美しい女性だった。 何やら熱い思いでも抱いていたのだろうか。 これまで浮いた噂一つ無いというゲンマ、女性に興味が無かった訳ではないだろうから、そういう感情も持ち合わせている筈だ。 愛や恋といった感情を知らずに、諜報部隊の隊長など務められないだろう。 これまでに多少は思いを寄せた経験がないとは思えない。 リホクが、それに当たるのでは。 はそう思った。 ゲンマは今はを好きで、他には目もくれないのは分かっている。 昔思いを寄せた女がいても構わない。 そう思っていたのに、ゲンマのおかしな態度で、不安にさせられる。 「何で・・・ゲンマさんは、あんな・・・」 過去は過去、今は今、そう言い聞かせているのに、ゲンマの心あらずな様子に、疑心暗鬼が首をもたげる。 あの時まで、これ以上ないくらいに幸せで輝いていたというのに。 絶望のどん底に落とされたように、真っ暗だ。 「ゲンマさん・・・」 はゲンマ人形を抱き締めて、眠れない夜を過ごした。 結局一睡も出来ずに、朝を迎えた。 ずっと虚ろに宙を見つめていた。 「ダメ・・・仕事行かなきゃ・・・」 冷水で顔を洗って気持ちを引き締め、頬を叩いて切り替えた。 仕事に行く支度をしながら、ふとドレッサーの上の丸まった紙が目に付く。 「オボロさんなら・・・知ってるのかな・・・」 だが、本人不在で勝手に探るのは、気が引けた。 手に取ってはみたが、結局元に戻した。 は仕事で大声を発することで、靄靄した気持ちを吹き飛ばした。 大勢の客と触れ合うことで、気を紛らせた。 が、夕方になってもゲンマは買い物には来ず、仕事を終えて帰ってきても、ゲンマはいなかった。 「・・・任務に行っちゃったのかな・・・休暇明けで忙しいとかかな・・・」 いつもならオボロが知らせに来るのに、今日は来ないので、執務が忙しくて来れないのか、任務に行ったのか、何も分からなかった。 帰りにゲンマのアパートを眺めたが、灯りは点いていなかったので、いないことは確かだった。 いつもマメにケアしているゲンマらしくない。 以外のものに気が取られているような。 ゲンマの心が分からなくて、は不安でいっぱいだった。 あれから数日。 ゲンマは店に買い物にも来なければ、部屋の灯りが点いていることもなく、の部屋にも寄らず、知らせも寄越さなかった。 こんな事は、初めてだった。 オボロを呼んでみようか。 だが、どんな答えが返ってくるのか考えると怖くて、手に取ることも出来なかった。 八百屋の夫婦も、気丈に振る舞って見せているの様子がおかしいことに気付いていたが、ゲンマが任務でいないから淋しいのだろう、と思っていた。 は必死に繋ぎ止めている糸が、切れてしまいそうな程に、限界に来ていた。 仕事でヘマをやらかすことはなかったが、自分のやりたい接客はこうじゃない、と分かっていながら、おざなりになっていることが、許せなかった。 身体が覚えているから、自然と出来るだけ。 本当は、もっと心を通わせて、親身にしたい。 客が途切れると、ふっと笑みが消える。 の様子がただならないことに、八百屋夫婦も気付き始めていた。 「、顔色悪いよ。今日はもういいから、あがりな」 「いえ、大丈夫です。頑張ります」 ニッコリと作り笑顔で、拳を握った。 「そうかい? でも・・・」 任務帰りで屋根の上を駆けていたアンコは、眼下にが目について、声を掛けていこうかな、と降りた。 「よ、。頑張ってる?」 「アンコさん・・・」 ニッコリ微笑むアンコを見て、は張りつめていた糸が途切れ、涙が溢れてきて、頽れた。 「?!」 アンコも八百屋夫婦も、行き交う客達も驚いて、見遣った。 泣き崩れるに、アンコは優しく手を掛ける。 「どうしたの? 何かあった?」 「ゲンマさんに・・・会いたい・・・」 「、今日はもう帰りな。辛いようなら、明日も休んでいいから」 八百屋夫婦も優しく声を掛けた。 「よく分かんないけど、連れて帰るわ。の荷物持ってきて」 「ゲンマさんが任務でいないようでね。もう1週間以上経つんだよ。この間まで長いこと会えなかったばかりだから、淋しいんだと思う。くの一の方、慰めてやってくれませんか」 「え? ゲンマは里に居・・・」 言い掛けて、アンコは口を噤んだ。 八百屋夫婦から聞かされた今の話との様子、ゲンマの様子も併せて、何かが起こっていることは容易に分かった。 の荷物と共にの腕を掴んで支え、アンコはアカデミーに向かった。 「ついこの間まで、メッチャクチャラブラブだったのに、どうしたの? 何で会ってないの?」 「え・・・任務が忙しいとか、里を離れてるんじゃないんですか? オボロさんからも知らせが来ないから、全然分かんなくって・・・」 覇気のないに、アンコは含み顔で、眉を寄せた。 「あの・・・ね。ゲンマはずっと里にいる・・・わよ? 執務が忙しいのは確かだけど、中忍試験まではまだあるし、だから会う時間が作れないことはないと思うんだけど・・・」 「え・・・ゲンマさん、いるんですか?」 涙を目一杯流して少し落ち着いてきたは、鞄を受け取って自力で歩いた。 「毎日執務室で仕事してるわよ。まぁ、ちょっと様子がおかしいなぁとは思っていたけど・・・何でを避けてんのかしら。毎日大変なら、尚のこと何をおいても愛する女に会って、癒されたいモノじゃないのかしら」 「私のこと・・・嫌になっちゃったのかな・・・」 じわ、と涙ぐむ。 「そ〜れは無いって! 絶対有り得ない。何よりもアンタを大事にしてんだから。大事だからこそ、何かあるのかも知れないわね。取っ掴まえて訊きましょ」 アカデミーの校舎に入りながら、アンコは優しく諭した。 「全く、私の大事な妹を泣かすなって釘刺したのに、何なのよ、あの男は・・・」 文句を垂れながら、アンコはゲンマの執務室をノックした。 が、一向に待っても返事がない。 鍵も掛かっていた。 「いないのかしら」 アンコはを連れて、隣の特別上忍執務室のドアを開けた。 「おぅ、アンコ任務お疲れ」 デスクワークをしていたアオバが顔を上げた。 「アオバ、ゲンマは?」 「ゲンマなら、3代目に呼び出されて、そのまま任務に行ったよ。何日かかかるようだ。ついさっき来て、そう言って出て行った」 「はぁ〜? まさか取って付けたように避けてない? タイミング悪すぎ!」 「避けるって? そう言えば、最近ゲンマの様子おかしいよな。心此処にあらずって感じで・・・遅くまで仕事して、その後は夜中まで修行してるみたいだし、何かあったのか?」 「それはこっちが知りたいのよ。全くもう・・・」 「あの・・・皆さんから見ても、ゲンマさんの様子っておかしいんですか?」 「そうね。皆言ってるわ。最初はアンタでいっぱいでメロメロトロ〜ンなのかと思ってたけど、何か違うみたいで、人が変わったみたいに、いつもみたいにドス効かせてこないし。上の空って言うか・・・」 「私にだけじゃないんだ・・・」 「も原因分かんないの? いつからおかしいの? それとも、分からないうちに?」 は躊躇うように目を泳がせた。 「えっと・・・この間、アンコさんとお話した後で、ゲンマさんと一緒に夕飯のお買い物に行く時に、商店街でバッタリ、ゲンマさんの先輩って言う、リホクさんという女性にお会いしたんです。おかしくなったのは、その時からです」 「リホク・・・先輩?」 アンコの様子が変わったことに、は気付いた。 室内にいる他の忍びも、ざわりとしていた。 「あの・・・何かご存じなんですか?」 「そっか・・・アイツ、まだ・・・」 アンコの反応に、は鼓動が逸った。 「あの・・・私、何度か、オボロさんに訊こうと思ったんです。でも、勝手に探るみたいで・・・出来なくて」 アンコは含み顔でを見遣った。 「・・・これは忍びとしてのゲンマの問題だけど、アンタが知っといてもいい筈の事よ。そのせいで今こんななんだしね。此処で話すのも何だし、何処かの店の個室借りて、夕飯食べながら話すわ」 「あの・・・それは・・・」 「安心しな。そんな色っぽい事じゃないから。ま、まだまだアイツも未熟だなって事よ」 ニッ、と笑って、アンコはを外に促した。 「その話、私もいた方が良いでしょ?」 部屋を出ると、妖艶なくの一が立っていた。 「アケビ! いいトコに! このコのこと知ってるでしょ? ゲンマの馬鹿のこと、一緒に教えてやって」 「初めまして、よね? 私は桃栗アケビ。諜報部隊の副隊長で、第2小隊を預かっているわ。よろしく」 ニッコリと微笑むアケビは、先達て会ったリホクに負けることなく、美しいくの一だった。 「あ、です。オボロさんからお名前だけは伺ってて」 は慌ててペコリと頭を下げた。 「じゃ、行きましょ」 3人は食事処に来て、一番小さい個室を借り切った。 密談にはうってつけの構造だった。 「今日はアルコールは無しね」 アケビはお品書きのお薦めの定食を見ながら、アンコに釘を刺した。 「分かってるって。ココの定食美味しいのよね。はどれにする?」 「食欲・・・無いです・・・」 「もう、元からちっちゃいのに、最近痩せたでしょ。そのデカイ胸までしぼむわよ? シッカリ食べて、元気にならなきゃ」 適当に同じ定食を頼み、備え付けのポットからお茶を煎れて含んだ。 食事が運ばれてくるまで、アケビのことや、ゲンマがいかにを大事に思っているかを話し、励まそうとした。 食事が運ばれてくると、食べながら、切り出すタイミングを伺った。 「何処から話せばいいかな・・・」 の知らないゲンマの過去。 鼓動を逸らせながら、聞き入った。 Bランク任務で里を離れていたゲンマは、仲間との交代で仮眠についていた。 首から提げている、ペンダント。 月夜にかざし、刻まれた文字を眺める。 忘れていた筈だった。 もうとっくに乗り越えたと思っていた。 だが、思わぬ再会で、一気に時が逆戻りした。 目を瞑ると、今でも鮮明に思い出す。 捕らわれたままの過去の思い出・・・。 15の時、ゲンマは特別上忍への昇格候補に挙がった。 1年間任務に飛び交い、適正を診断された。 結果配属されたのは、特殊部隊で最も重要視されている、諜報部隊。 認められたことが嬉しくて、殉死した両親の名が刻まれた慰霊碑に報告に行き、アカデミーに通う唯一の肉親、10歳になる妹エルナにも伝え、祝ってもらった。 自分がこの幼い妹や里の未来を守る。 まだ自分も子供だというのに、そう思わざるを得ない、そんな戦乱の時代だった。 忍びは、男も女も、全てが16になると、下忍・中忍も関係なく、色事の訓練があった。 それを主な任務とする諜報部隊に限らず、全てが行うのだが、やはり諜報部隊に配属された者は、より高度な訓練を必要とされた。 少女達には諜報部隊の各小隊長の男が、少年達には同じく諜報部隊のくの一達が、訓練を施した。 少年達には、女の色香に惑わされないように、女を覚えることと、口説き落として情報を訊き出す方法を、少女達には、同じように男を覚え、情事にて情報を訊き出すように、教えられた。 有望な忍び程、より高位の忍びが相手をした。 当時の諜報部隊の副隊長だったくの一が相手になったゲンマは、イコール一番の有望株だ、と知らしめた。 それが益々ゲンマをやる気にさせた。 期待される嬉しさと、初めて女を知る緊張が、程よく気持ちを高揚させた。 それが、邑楽リホクとの初めての出会いだった。 美しい女だ、と思った。 伝説の三忍・綱手にも引けを取らない。 それ以上の感情は持たなかったが、リホクに認められれば上の小隊に入れる、そう思って、手ほどき通りに倣って、覚えていった。 まずは行為の流れとやり方、そして、最初の駆け引きからの流れ、幻術を使うタイミング、と念入りに教わった。 「ゲンマ、好きな女はいる?」 一通り終わると、リホクはそう尋ねてきた。 「は? いえ、いません。オレは木の葉の忍びです。浮かれた恋愛などする気はありません」 その言葉に、ピク、とリホクは眉をつり上げた。 「あの・・・オレ、どうなんですか? 結果は・・・」 リホクはきつい瞳でゲンマを見据えた。 「・・・不合格」 「え?! 何故ですか? ちゃんと出来てるってさっき・・・どこがいけないんですか?」 ゲンマはムッとして、訊き返した。 「確かにキミは聞いていた通り優秀だけどね・・・忍びとして、いえ、人としても、欠落しているものがあるわ」 「何なんですか? それは」 「・・・今日の結果を審査して、班編成の改革を行います。そうしたら、配属される小隊で、自ずと分かるわ。まぁ、分かってもらわないと困るのだけど」 そう言って、リホクは出て行った。 ゲンマは打ちのめされた気分だった。 初めてにしては、うまく出来ていたと思った。 幻術の使い方も褒められた。 それなのに、何がいけないのか。 リホクに認められれば上の小隊に入れると思っていたのに、下部小隊どころか、もしかしたら部隊の配属替えをされてしまうのだろうか。 納得がいかなくて、訓練室を飛び出した。 気持ちの行き場がなくて、慰霊碑に向かった。 降り立つと、先客がいた。 銀髪の、小柄な少年。 ゲンマの気配に気が付いて、振り返ったのは、左右の瞳の色が違う、里の天才児。 「カカシ・・・上忍・・・」 「ゲンマ君。久し振りだね。さっきアカデミーでエルナちゃんに会ってきたよ。ゲンマ君、特別上忍に昇格したんだってね。おめでとう」 寂寥感の漂う薄い微笑みが、胸を締め付けられる。 先達ての大戦時、上忍昇格後の初任務で、小隊の仲間を失い、その親友の写輪眼を譲り受けた、はたけカカシ。 ゲンマはアカデミーで一緒で、よくツーマンセル演習をしていた。 ずっと背中を見てきた、追い越せない壁。 「お久し振りです。カカシ上忍」 ペコ、と頭を下げた。 「もう。オレの方が年下なんだから、呼び捨てタメ口でっていつも言ってるでしょ。アカデミーの時みたいにフツーに喋ってよ」 マスクの下が、膨れていた。 「いえ。アナタは上司です。ケジメは守らなければなりません」 「頭固いな〜。そんなんで諜報部隊でやっていけるの?」 ふとゲンマの表情が曇ったのにカカシは気付いた。 「・・・どうかした?」 「カカシ上忍・・・諜報潜入任務の経験はありますか」 「え? そりゃまぁ、無くもないけど・・・それが何?」 「諜報部隊で・・・必要な能力って何か分かりますか」 「相手をうまく騙せるかとか、幻術とか、回避能力とかじゃないの?」 「他には・・・?」 「う〜ん。諜報任務経験アリって言っても、ゲンマ君達の諜報部隊のするようなタイプのモノはまだしてないからねぇ。まだガキだから、何も知らない子供のフリすることはあっても、色要素のある任務はないし」 「そう、ですよね・・・」 「そう言えば、ゲンマ君って16でしょ? 色の訓練はもうしたの?」 「・・・今日」 目を伏せるゲンマに、何かあったのだ、とカカシは気付く。 「・・・諜報部隊に必要なことで・・・忍びとして、人として重要なこと・・・オレに欠けてるトコって、何ですか・・・?」 ゲンマの問い掛けに、カカシは目を見開く。 一瞬の間をおいて、呟くように言葉を発した。 「・・・オレも、人として欠けてるトコばかりだから、分かんない・・・イキがっていても、まだ未熟だな、って、最近つくづく思うよ」 「カカシ上忍がですか・・・? そんなことは・・・」 「いくら優秀ぶってもね、まだガキなんだよ。経験してないことが沢山あるから、上忍って言っても、出来ないことも多いんだよね。自分が未熟だと言うことを認めないと、その先はないと思ってる。だから、こうして此処に来て、気持ちを引き締めているんだ」 じゃ、と帰るカカシを背に、ゲンマは打ちのめされた。 自分はもういっぱしのつもりだった。 それなりに自信もあった。 なのに、不適格と言われ、否定された。 ずっと背中を追ってきたカカシは、自分は未熟だ、と足りない自分を認めている。 ゲンマは自分が恥ずかしくなった。 まだたかだか16で、何を全て悟った気になっていたのか。 どんな配属をされるのかは分からないが、例え何処であろうと、素直に認めて、教えを請おう。 慰霊碑の前で、両親に誓った。 数日後、招集されてスリーマンセルを決められ、各々教室で小隊長を待った。 ゲンマは、入隊早々除隊されず、安堵した。 くわえている千本を上下させながら、仲間を見定めた。 一緒に組む仲間は、20代半ばくらいの男と、20そこそこくらいのくの一だった。 これが何小隊で小隊長が誰なのかも、まだ分からない。 だが、仲間の顔ぶれは、優秀で知られている忍び達だった。 下部小隊には思えない。 不合格を言い渡された自分がいていいのだろうか、と思いつつ、何処であろうと頑張る、そう決意していた。 暫く待つと、教室のドアがガラリと開いた。 ドキン、と鼓動を逸らせ、入口を見遣った。 入ってきたのは、リホクだった。 「え・・・」 「揃ってるね。では、改めて、私は邑楽リホク。この諜報部隊の副隊長で、アナタ達は、私が小隊長を務める、第2小隊に配属されました。この栄誉に甘んじないように、気を引き締めるように」 「「はっ」」 訳が分からなくなっているゲンマ以外の2人が応えたことで、ゲンマは我に返った。 「アナタ達2人は下位小隊から能力を認められての昇格だから、特別に指示はありません。が、不知火ゲンマ、キミは、初入隊です。暫くは訓練を行うので、任務に就くのは、それからです」 仲間2人を見遣った後、リホクはゲンマを見据えた。 「あ、あの・・・っ!」 「何か?」 「オレ、不合格って言われたのに、何で・・・」 リホクは一瞬黙ってゲンマを見つめ、ゆっくりと口を開いた。 「不合格イコール、諜報部隊には不適格、という訳ではないわ。キミは見込みがあると思ったから、私の小隊に推薦した。足りない部分は、これから補っていけばいい。まだ若いのだから。最初から何でも出来る人なんていないわ。それらは全て、これから教えていきます。モノに出来るかどうかは、キミ次第よ」 強く見据えてくるリホクに、ゲンマはゴクリと喉を鳴らした。 「は! 宜しくご指導ご鞭撻の程、お願いします!」 それから、厳しい訓練が続いた。 “巧いんだけど、ちょっとねぇ” 訓練の度に、仲間にも言われ続けた。 幻術能力は素晴らしく、行為も上出来。 そう言われながらも、後もう一つの、何が足りないのか、ゲンマには分からなかった。 自ずと分かってくると言っていたリホクの言葉、駄目出しの何がダメなのか、いつまで経っても分からない。 第2小隊がいつまでも任務に就けないのは、問題なので、簡単な、だが時間の掛かる、諜報潜入任務に就くことになった。 近隣の小国に潜入し、民間人になりすまし、ターゲットの人物を口説き落として、恋仲になったフリをしながら、情報を訊き出す。 仲間2人がその役で、アケビとゲンマはバックアップをすることになった。 「ターゲットはまだいるじゃないですか。何でオレはバックアップなんですか? 実戦を積まないといつまで経っても上達出来ません!」 ゲンマは抗議した。 「確かにその通りだけどね。キミにはこの役はまだ無理よ。仲間の仕事を見て勉強なさい」 「でも・・・!」 「2人とも優秀よ。自分に何が足りないか、見つけない限りキミに大役は任せられない」 リホクはくの一のバックアップに就き、ゲンマは男の方に就いた。 「何がオレに足りないのか・・・シッカリ見て、見極めてやる」 民間人になりすまして潜入してから、大分日が過ぎた。 優秀だという言葉通り、ごく自然にうまくターゲットに近付き、ターゲットとの距離が段々接近していって、そして相手は落ちて、深い仲になっていった。 情報を訊き出せるのも、間もなくだろう。 ゲンマはそれを見ていても、巧いなぁとは思っても、自分に足りないのが何か、見当が付かなかった。 あれくらいなら、自分でも出来る、そう思っていた。 そんな時、ゲンマは千本の代わりに長楊枝をくわえた民間人スタイルのまま食事処をふらついていたら、腹の音が鳴った。 「そういや腹減った・・・」 陽が暮れ、ゲンマは何処かで食事を摂ろうと思って、懐をまさぐったら、財布を持っていないことに気付いた。 「げっ、財布ねぇ! げ〜、どうすっかな・・・」 眉を寄せて思案していたら、女の笑い声が聞こえた。 その先を見遣ったら、ゲンマと同じ年くらいの、少女だった。 茶処で働いている、残るターゲットの1人だ。 ゲンマは気付いたが、悟られないように、振る舞った。 「こっからじゃウチ遠いなぁ・・・財布取りに行くのメンドくせぇな・・・」 はぁ、とゲンマは息を吐いた。 少女はクスクス笑っていた。 どうやら、ゲンマの腹の音からこれまでを見ていて、おかしくて笑っているようだった。 「んだよ。笑うな」 照れ混じりに、ゲンマは吐き捨てる。 「あはは、ゴメンナサイ。アナタ、時々見掛けるけど、何をしてるの?」 「今か? 散歩」 「じゃなくて、お仕事。いつも、色んな時間に見掛けてる気がして。無職とか?」 「無職じゃね〜よ。親いね〜から、隣ン家の農業手伝って食ってんだ」 自分の設定をスラスラと話した。 「へぇ。どうせなら街中で仕事見つければいいのに」 「だから何がいいか、雇ってくれそうか、時間作ってふらふら探してんだよ」 その時、またゲンマの腹が鳴った。 「良かったら、ご馳走するわよ。一緒に食べない?」 「え・・・いいのか?」 引っ掛かった、とゲンマは内心ほくそ笑む。 「悪い人には見えないから、ね?」 ゲンマは、リホクに認められようと焦っていて、独断でターゲットに近付くことにした。 他愛もない話をしながら、共に食べた。 ゲンマは少女を警戒させないように砕けて話し、少女は段々心を開いていった。 「じゃ、一杯お話出来て楽しかった」 「借りたメシ代、ちゃんと返すよ」 「いいわよ、これくらい」 「また、会いたいんだ。金返すってのは、その・・・口実で」 ゲンマは照れくさそうに、少女を見遣った。 少女は目を見開いて、だがすぐに柔らかく微笑んだ。 「・・・私、同じ年頃の友達って少ないんだ。またお話出来ると、私も嬉しい」 ゲンマは何とか、最初の難関をクリアした。 少しずつしっぽを掴んでいく情報、どうやら3人が分担しているようで、2人だけでは完全には得られないことが、薄々分かってきていた。 そんな中、ゲンマが独断で残るターゲットに近付いていることに、皆気付いた。 「何かあったら、私がフォローするわ。アナタ達は、知りうる限りを訊き出して」 息を吐くリホクは、ゲンマに気付かれないように、バックアップに就いた。 諜報部隊に配属される忍びは、見目麗しい者が多い。 色事で口説き落とすのに、その方が都合が良いことが多いからだ。 ゲンマは、同年代の中で、一番の男前と言われていた。 そんなゲンマと触れ合う少女、その目は次第に恋する目に変わっていく。 ゲンマも優しく接し、自分に出来うる限りの最高の男を演じているつもりだった。 2人の仲は急接近していき、身体を重ねる。 ゲンマに夢中な少女の顔。 これで落とした、ゲンマは達成感を感じ始めていた。 情報を訊き出せるまでになるのもすぐだろう、そう思っていた。 が、間もなくそれに暗雲が立ちこめた。 少女の態度が、ぎこちなくなっていったのだ。 いつものように、逢瀬の時に、少女は淋しそうな、浮かぬ顔をしていた。 ゲンマにはその理由が分からなかった。 大切に扱い、最高の恋人像を演じているつもりだった。 「何かあったのか? 訳を聞かせてくれ」 そう問い質しても、少女は何も言わず、去っていく。 訳が分からず、ゲンマは夜遅く、少女の住む家にやってきた。 「どうしたんだ? 何か悩みでもあるのか? オレで良ければ、何でも・・・」 「・・・よ」 「え?」 「・・・もう、別れましょう」 ゲンマは別離の言葉を投げかけられた。 「な、ぜ・・・? オレのことが嫌いになったのか?」 ゲンマは思いも寄らぬ言葉に、鼓動が逸っていった。 「好きよ・・・。だから、もう、耐えられないの・・・」 「何がだ? オレは浮気なんてしねぇぞ? 好きな女はオマエしかいねぇ」 「そうじゃない・・・」 「じゃあ一体何が・・・」 「・・・えない・・・。アナタの心が見えないの・・・」 「え・・・?」 「・・・一緒にいても・・・いつも淋しい・・・私とアナタじゃ、好きの重さが違うのよ・・・アナタの優しさは、妹さんへと同じで、私だけへ向けられる特別じゃないもの・・・私には・・・アナタの心が見えない・・・一緒にいる時の方が辛いなんて、もう嫌なの・・・!」 ゲンマは、奈落の底に落とされたように、打ちのめされた。 少女が屋内に戻っても、暫く呆然と立ち尽くしていた。 その時、何処からか幻術が作動した気がした。 薄れゆく意識の中で、アケビが目の端に映ったような気がしながら、ゲンマは幻術に落ちた。 気が付くと、其処は木の葉の里に帰る道中の岩陰だった。 月夜の元、焚き火が焚かれ、仲間達が休んでいた。 「え・・・」 ゲンマは訳が分からず、上体を起こした。 「気が付いたか。明け方になったら、一気に木の葉に戻る。そこの非常食を食べて、もう一休みしなさい」 火の番をしていたアケビが、隣で言い放った。 「・・・任務は・・・?」 「終わったわよ。だから、帰ってきているんじゃないの」 「え? でも・・・」 「必要な情報は、ターゲット3人が分担して保持していたのね。だから、2人だけじゃ、不足していた。だから、キミの勝手に行動を起こした相手からの情報も必要だった」 「指示無しに勝手な行動を取ったことは謝ります。でも、オレは任務を遂行しては・・・」 「そうね。キミは、勝手な行動を取ったばかりか、任務に失敗した。謹慎どころか、懲戒処分もあるわよ」 ゲンマは口を噤んだ。 「って、任務は終わったって・・・」 「何の為に、バックアップが就くと思っているの? キミが任務に失敗したのを受けて、キミを眠らせ、私が変化でキミになりすまして、ターゲットの誤解を解いて、訊き出したのよ。全く、彼の仕事ぶりを見ていて、勉強してなかったの?」 「ちゃんと見てました。でも、オレと何処が違うのか分からなくて・・・」 ゲンマの答えに、リホクは息を吐いた。 「・・・ゲンマ、キミが何故任務に失敗したか、理由を分かっている?」 リホクの問い掛けに、ゲンマは考え込んだ。 「・・・オレ、ちゃんとやってたのに、何であんなこと言われたのか、分からなくて・・・」 「だから、私は好きな女はいないのか、訊いたのよ」 「え? だから、何でそれが・・・」 「ゲンマ、今まで一度も恋愛をしたこと無いの? 過去、誰かを好きになったことは?」 「・・・ありません。くの一は仕事仲間にしか思えないし、民間人とは接点がないですから」 「あのね、ゲンマ。キミの人として欠けてるトコを教えるわ。自ずと気が付くように待ったけど、どうも駄目なようだからね」 「何が・・・足りないんですか? 人として・・・? 忍びとして・・・?」 ゲンマは喉を鳴らし、リホクを見据えた。 「ゲンマ、キミの愛の演技は、薄っぺらいのよ。嘘くさいって言うか」 リホクの目がきつくゲンマを射抜いた。 「え・・・? 薄・・・? 嘘・・・?」 「これまで誰かを本気で好きになったことがないから、表現の仕方が分からないんでしょうね。キミが想像する程度の恋愛表現なんて、“本気”の前には、薄っぺらくて中身がないのよ。だから、あのコはそれが分かって、結果キミは失敗したの」 「・・・どうやって任務完了したんですか?」 「言ったでしょ。キミになりすましたって。ずっと見てきて、キミのキャラクターは掴めていたし、そのように装って、愛を囁いて、仲を修復したの。特別上忍のトップツーの実力を舐めてもらっちゃ困るわね」 ゲンマはプライドも何もかも薙ぎ倒された。 初任務で小隊長の了解無しに勝手な行動を取って任務に失敗したばかりか、その小隊長に尻ぬぐいをしてもらったのだ。 自信を持っていた演技が、中身がないという。 言われ続けていたことはそれか、と、ようやく思い知った。 「ゲンマ、恋をしなさい。本当の恋を。身を焦がすような、愛を覚えなさい。でなければ、いつまでもキミはそこで立ち止まったまま、先へは進めないわ」 「で、でも・・・忍びが恋愛にうつつを抜かすなんて・・・」 「考え方を変えなさい。確かに、恋愛に夢中で任務が疎かになるようじゃ困るけど、忍びも人間よ。誰かを愛すると言うことは、自然の営みなの。それに、里を繁栄させていくには、子孫を残すことも必要でしょ。心のない冷徹な殺人マシンより、血も通った愛を知った人間の方が、時として忍びにとって必要なのよ」 ゲンマは目を伏せ、唇をきつく結んだ。 「ま、諜報部隊にいる忍びを信じて愛してくれる相手なんて、なかなかいないでしょうけどね。でも、思いを寄せることだけでも、経験しておくに超したことはないわね」 「え・・・それって・・・?」 「分からない? 諜報部隊は、色の任務が一番多いのよ。男も女も、それぞれ数多の相手を口説いて、深い仲を演じるでしょ。自分の愛する相手が、任務とはいえ、他の異性と身体を重ねるのに、抵抗のない人間なんて、そうはいないでしょ?」 「あ・・・」 「だから、諜報部隊は嫁き遅れが多いのよ。私も適齢期過ぎかけてるからね〜、ま、女が上に行くには、しょうがないかもね」 リホクは苦笑して、焚き火に薪をくべた。 「あの・・・リホク先輩は、じゃあ、好きなヤツとかっての、いるんですか?」 「ん〜? ナ〜イ〜ショ〜。ゲンマ、キミは折角の色男なんだから、もっと視野を広げなさい。出会いなんて、何処に転がっているか分からないのよ」 「はぁ・・・」 「その分じゃ、気付いてないわね。キミ、里でも結構モテてるってこと、知らないでしょ」 「オレがですか? まさか・・・」 「そんなこと言ったら、女のコ達、嘆くわよ。自分が人に見られるのは、顔に何かが着いてるからじゃなくて、見目宜しいからだって、いい加減気付きなさい。さ、食べたら一休みなさい。里に戻ったら、訓練の仕方も変えましょ」 月を見上げるリホクは、誰かを思い浮かべているような、柔らかな表情だった。 ゲンマは、月を見ていても、思い浮かぶのは、妹のエルナだった。 『恋をしろ・・・? どうやってするんだ・・・?』 それすらも分からないゲンマ、先が遠いようだった。 里に戻ると、謹慎処分を言い渡される覚悟をしていたゲンマは、リホクが報告書を提出した時に、何も言われなかったことを怪訝に思った。 どうやら、任務は結果成功したので、リホクの意向で、報告書が偽造されているのだ、と仲間に聞かされた。 ゲンマへの特訓は、薄っぺらで嘘くさいと言われたゲンマの演技と他の者がどう違うのか、仲間同士で演じ合って、ゲンマに見せた。 段階を踏んで、ゲンマも相手役に加わり、表情や仕草、手本を見せる。 普通なら、訓練で恋や口説きの演技をしてみせるなんて恥ずかしい、と思うだろが、堅物に輪を掛けているゲンマは、それは熱心に勉強していて、逆に相手をしている方が照れもして、思わず笑いそうになった。 「未だにキミの色っぽい噂は聞こえてこないけど、相変わらず相手がいないの?」 ゲンマがなかなか上達しないのを見て、リホクはある日、ポツリと訊いた。 「だって・・・恋って、どうやってするのか分からなくて・・・どういうのが恋なんですか?」 「・・・まだそんな初期段階なの? 可愛いなぁって思うコとかいないの?」 「オレには、可愛いと思える女は、妹のエルナだけです。くの一は仕事仲間以上には思えないし、一般人もそうは・・・」 相変わらずのゲンマに、リホクは再び息を吐く。 「これまで、女性を見ていて、綺麗だなぁ、とか可愛いなぁ、とか、ちょっとした仕草にドキッとしたりとか、そういう経験はないの?」 「無くは・・・それが何なんですか?」 「それが、恋の予兆。そういう相手と仲を深めていけば、恋の芽も芽生えてくるわよ。今日の訓練はオシマイ。ゆっくり、自分を見つめてみなさい」 異性を見ていて、ドキリとしたこと。 『エルナが危なっかしい手でメシ作ってるのを見てる時・・・は違うよなぁ・・・』 自宅の部屋のベッドに寝転がって、天井を見つめて考える。 肉親以外で、ドキリとしたこと、トクンと鼓動が跳ねたこと、胸の奥が熱くなったこと。 目を瞑って、思慮を巡らす。 ふと、リホクが脳裏に浮かんだ。 「な、何考えてんだ、オレ。リホク先輩は、上司だぞ。9つも上だってのに・・・」 妖艶で艶やかな唇に吸い寄せられるのを、思い出した。 打ち消しても、やはりリホクが浮かぶのだった。 ゲンマは、諜報部隊に所属する以外に、特別な職務にも就いていた。 暗部と同じく火影直轄の職務。 それは、機密文書の管理だった。 不知火家に代々伝わる職務で、不知火の人間のみが従事することを許された、重要な職務だった。 中忍になると同時に、殉死した両親から受け継ぎ、まだ幼かった為に、火影の用意した信用の置ける補佐と共に従事し、特別上忍になると同時に正式に請け負い、諜報の訓練や任務の合間に、此方の職務もこなしていた。 妹・エルナが忍びとなって、中忍に昇格すれば、共にこの職務を請け負っていくことになるだろう。 ゲンマが諜報部隊に配属されたのは、それに伴うこの職務に就いているからでもあった。 機密文書の管理を請け負い、諜報部隊に所属すると言うこと。 つまり、ゆくゆくはゲンマは特別上忍のトップに立つことになる。 ゲンマは知らずにいたが、火影に就いてまだそう年月の経ていない4代目もリホクも、その為に、ゲンマには何としても、スペシャリストになって欲しかった。 その才能があると見込んでいるが、まだ芽は芽吹かない。 恋をする。 こればかりは、他人にどうこう出来るものではなかった。 暫くは、色の任務におけるゲンマの役割は、仲間のバックアップだった。 勉強しながら、フォローしていく。 通常任務では、ゲンマは目を見張る程の活躍を見せた。 基礎もシッカリしていて、同年代の誰よりも優秀だった。 目標とする忍びは年下のカカシだと言うことは、見ていて何となく分かった。 里の天才児の背を追ってきて、孤独で重い宿業を持つカカシが、唯一柔らかい表情を見せるのが、不知火兄妹だった。 戦乱時代の今、安易に“恋をしろ”と言っても、この時代を生きてきた子供達が、そういう考え方が出来なくても、仕方がないのかも知れない。 だが、荒んだ時代だからこそ、救いを求める。 自由に人を愛して暮らせる世の中に導く為に、忍び達は戦い続けた。 1年も過ぎようという頃、ゲンマは多くの任務をこなして成果を上げてきたが、色については、リホクからの合格点が未だに出ず、色の任務で大役は任せてもらえずにいた。 「だいぶ掴めてきてるわよ。好きな女がいるなら、モノにしなさい」 「そんなんじゃありません・・・」 「まだ思う人が出来ないの? こういう時代だからこそ、人の愛に癒されたくはないの?」 ゲンマは何も言えなかった。 リホクは気付いていた。 ゲンマの中に芽生えた芽は、自分にだと。 リホクを相手にする時のゲンマは、抑えている気持ちがにじみ出て、良い感じなのだが、他を相手に、まだ出来ないでいた。 だから合格点を出せないのだが、リホクは考えた。 ゲンマの想いに応えようか。 それでゲンマが一皮剥けて成長するならいい。 が、初めて恋をする少年を傷つけずに済むだろうか。 大きな傷痕になるかも知れない。 折角の芽を潰すことになったら。 リホクは歯痒さを抱えながら、葛藤していた。 そんな折だった。 木の葉に九尾の脅威が襲いかかったのは。 九尾の妖狐に、里は壊滅的に追いやられた。 多くの忍び、多くの人間が命を散らせた。 何もかもを奪い去っていく九尾から、4代目火影が命を賭して、救ってくれた。 自らも応戦して重傷を負ったゲンマは、里の無惨な状態に、呆然とした。 今まで培われてきた全てが、奪われた。 リホクも仲間も、皆酷い重傷で命も危うかった。 唯一の肉親であるエルナが無事生き残っていたのが、僅かな救いだった。 暫くは里の立て直しに追われる木の葉は、優秀な人材は1人でも多く必要だった。 怪我がまだ治りきる前、ゲンマは暗部に要請された。 暗部への昇格は、栄誉あること。 一時的に諜報部隊を半除隊状態になり、暗部に入隊した。 変わらず舞い込む依頼をこなす為に配属されたのは、まだ14歳の少年が分隊長を務める小隊だった。 それがカカシとの再会だった。 4代目を恩師と仰いでいたカカシ。 失ったばかりの少年は、冷たい鋭利な刃物のようだった。 全てを奪っていく世の中に、ゲンマですらやりきれない思いを抱えていた。 共に戦っていたリホク達は、相当酷い傷を負っていた。 無傷の者は殆どいない。 ゲンマは暫くの間、暗部で手を血に染めていた。 里の復旧に追われる木の葉、アカデミーを卒業したばかりの下忍達も、直ぐさま任務に追われた。 エルナも仲間のハヤテらと、早々にCランク以上の任務に飛び交った。 火種を鎮圧してもすぐにまた次の火種が勃発してくる、そんな戦乱が続くこの時代、幼い下忍達も、安穏とDランク任務をしていられる状況ではなく、戦地に赴いた。 燻り続けた火種を鎮圧してきたカカシ小隊が里で目にしたものは、物言わぬエルナの亡骸。 男勝りで血気盛んなエルナは、ハヤテの制止も聞かずに、真っ先に戦陣に飛び込んで、あっけなく命を散らせた。 呆然と立ち尽くすゲンマに、カカシはかける言葉もない。 同じ状況に何度も出会ってきたカカシは、言葉が無意味であることを知っていたからだ。 何を言っても、慰めにもならない。 ゲンマは決意した。 もう誰にもこんな思いはさせない。 束の間の休息を貰ったゲンマは、皆が笑って暮らせるような将来を作りたい、そう慰霊碑に誓った。 ゲンマは暫く暗部で忙殺されていた。 あちこち飛び交い、真っ赤な鮮血で染められた手、それが当たり前の日々に、心も荒む。 癒してくれたエルナももういない。 リホク達も戦線復帰して、戦地を飛び交っているようだ。 ふと思いを馳せる。 長く会っていないが、傷はすっかり癒えたのだろうか。 変わらず美しいだろうか。 リホクの任務に対する姿勢に心惹かれたゲンマは、まだリホクが自分にとって特別な存在になっていることに気付いていない。 いや、気付いていたが、打ち消していた。 自分の恋の相手と言うには、年の差、上司と部下という関係に、リホクにとってゲンマは分不相応すぎる。 そう思っていたので、自分はまだリホクの言う恋を経験出来ていない、だからリホクは合格点を出さないのだ、そうゲンマは考えていたので、自分が殻を脱ぎ始めていることに気付かずにいた。 荒んだ日々に会えないリホクを思いながら、月日は過ぎていく。 成人を迎えたゲンマは、別の場所にも心癒される存在がいることを、気付かなかった。 九尾の事件で自宅が破壊され、エルナと共に移り住んだアパート。 ファミリー向けなので、エルナを失って独りになったゲンマには広すぎるアパートだったが、思い出を大切にして、住み続けた。 其処から程近い、南商店街。 馴染みの八百屋の、小さな店員。 元気が良くて、笑顔の愛らしい少女。 テキパキと動くコマネズミのような少女、愛らしくて、思わず顔がほころぶ。 エルナが生きていたら、いい友達になれたかも知れない。 八百屋に買い物に来ると心が穏やかになることを深く気に留めていなかったゲンマは、火影の座に返り咲いた3代目からの命で、諜報部隊に復隊した。 リホクの隊に戻ったゲンマ、其処に試練が待っていたのだった。 未だ捕らわれている、苦い思い出・・・。 過去に思いを馳せていたゲンマは、ふと月を見上げた。 かつてはエルナしか浮かばなかった。 いつの間にか、それがリホクに変わっていた。 今は、が浮かぶ。 が、その顔がぼやけていることに気付く。 いつもハッキリと浮かぶの笑顔がぼやけ、まるで泣いているようだった。 に重なるように、リホクが浮かぶ。 「大人になれたらっていつも思ってたけど・・・まだまだ未熟だよな、オレって・・・」 深く息を吐いて、再び目を瞑る。 本当にが泣いていることに気付かずに。 「ゲンマが諜報部隊に復隊した頃だったかな、私が特別上忍に昇格したの」 「私は当時の隊長の、第1小隊にいたんだけどね」 アンコとアケビが、交互に語る。 「その頃なんですね・・・私がゲンマさんに初めて会ったのって」 食事に殆ど口を付けず、は呟いた。 「私も九尾の事件を知っているから、里の大変さは分かっていたし、皆が色々抱えてるのも分かりました。私も親を亡くしましたから。あの頃、ゲンマさんはいつも淋しそうな顔してた・・・」 それが当たり前だった、あの頃。 だから敢えて、は明るく気丈に振る舞っていた。 “オマエはいつも元気が良いな。見ている方もつられて嬉しくなる” 単なる客と店員、大して会話もしたこと無かったが、ゲンマは時々、にそう言ってかぼちゃを買って帰っていった。 名前も知らなかった、ゲンマの過去。 出会ってからのゲンマの話はまだ聞いていないが、思い起こせば、全てに辻褄が合う気がした。 淋しそうな、思い詰めたような、そんな日々が過ぎていき、ゲンマが変わったのはいつからだっただろうか。 思い出そうとしながら、は話の続きを聞いた。 ゲンマが未だに捕らわれているという、苦い思い出を。 |